愛おしいものに触れたとき、そこには神様がいる。
犬をなでること。
誤解を恐れずに言うなら、
それは神とつながること。
神という言葉に抵抗があるなら、
大いなるもの、宇宙、愛、全体世界、なんだっていい。
とにかく目には見えない、聖なるものに私は犬を通して触れているのだ。
よその犬のことは分からないけれど、我が家の犬たちは先代のらんを含め、なでられるのが大好きだ。
一度始めたら、エンドレス。
休むと犬たちはすぐに催促を始める。
「そこ、手、休めないで」
と言わんばかりに。
私のこの2本のたくましい腕は、この犬たちをなでるためにあるのだと、最近本気で思っている。
ちなみに催促の仕方も犬それぞれ。
ソルはすぐにゴロンとしてお腹をだす。
かぐは力の加減がわからないのか、かなり強めに私の手をガリガリ。
らんは控えめなトントンだったな。
犬をなでるとき、私が「愛情」のようなものを彼らに与えていて、そのお返しに「癒し」を受け取っている。そんな風に思っていた。
なんとなくこちら側が愛情を与えているような、それでいて取引のような。
でも、それって大きな勘違いだったのかも。
「彼らは私と全体世界(イーシュヴァラ)をつなぐための筒なのだ。」
そんな気づきを得てから、私は毎日犬たちの頭に手を置いて、一人で勝手に感動している。(かぐが「手を動かせ!」とガリガリして少し痛いけれど)
毎日毎日犬の頭をなで、体をさすり、どうしてこんなにも優しい気持ちになるのか、ずっと不思議だった。犬がかわいいから、甘えるから。確かにそうだけど、でもそんな単純なことではない気もしていた。ただただ、じんわりと心が満たされていく幸せな時間。
私は犬を通して、目には見えない大いなる力と通じ合っていたんだな。
それは心地よくて、安らぎであり、至福そのもの。(う〜っ、幸せすぎる。)
そして、犬たちも私という筒を通して何か大きな存在を感じていたり、心穏やかになってくれているのなら、とても嬉しいなあ。
(催促するくらいだから気持ちはいいんだろうとは思う。)
飼う人、飼われる犬。
与える人、与えられる犬。
そうではない。
大いなるものへとつながる人であり、つながる犬。もはや犬でも人でもなく同一の存在。
そう、私達はブラフマンなのだから。
(また言っちゃった)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?