私的ぬるま湯理論に隠された無価値観の克服
前職のパートを辞めるときに
考えていたこと。
それは、
「ぬるま湯にこのまま入り続けて
私は大丈夫だろうか」
ということでした。
とても良い環境で働いていたんです、私。
平日の週4日、9時~16時まで。
コロナ禍には在宅勤務まで許可してもらって
本当にお世話になりました。
でも辞める直前には
だんだんと人が増えてきた影響で
時間を持て余すことも多くなり
もう私はここに必要ないかもなあって
勝手に感じていました。
(これだいたい同じパターンが来ます、私)
なによりもこの優しい環境が
私にはぬるま湯につかっているようで
とても怖かった。
最初はね、
少し熱いくらいに思っていたのに、
だんだん人が増えてきてちょっと窮屈。
徐々にぬるくなっていくお湯。
もう熱いお湯が入ってこないみたいだよ、
これ、出るなら今だよな。
このままだと風邪ひいて、
どうにもこうにも動けなくなっちゃうよ。
早く動かなきゃ。
収入が増えないことへの不安
パートという待遇の限界
正社員挑戦へのラストチャンス
そんな焦りや不安も重なり
私は転職を決意したのだと思います。
でも、今なら
その恐怖は壮大な勘違いだと分かります。
この焦りの本質は
私の中の「無価値観」への恐怖そのもの。
もしかしたらずっと幼いころから
感じていたものなのかもしれません。
仕事がない=私には価値がない
そんな私を認めたくないし、見たくない。
だからここをぬるま湯だと思うことで
正社員だなんだかんだという
外側の条件をそれらしい理由にして
出ていこうとしたんです。
実際に出ちゃいましたけど。
でもね
私は、露天のぬるいお湯に
浸かっていたわけではなかった。
初めからこの世界は
室内の温水プールだったんですよ。
お湯から出ても、全然寒くない。
ぬくぬくです。
なんなら、もう、
ユネッサンかハワイアンズかってくらい
快適空間ですよ。
(行ったことはないけど)
新たな会社で働き出して3年半の私ですが、
最近やっと気が付きました。
会社がどうこうってことではなくて
私の意識がどこにあるのか。
いつだってほわ〜んと温かい
温水プールの世界にいるのかどうか。
就職とか転職とかって
けっこう大変に考えてしまうけれど
そこをぬるま湯に感じるのか
ユネッサンと感じるかで
見えてくる景色も違えば、
全く違う生き方にもなってくる。
正解も不正解もないただのお湯の中。
自分のものの見方ひとつだよな、
そんなふうに今は思うのです。
このものの見方こそがヨーガってことか。
そんなことを考えていた日曜出勤の午後。
まあまあ暇だったけど、全然平気だよ。
もうね、全く気にならない。
なんならトラブルなくて感謝したいくらい。
私は私のやるべきことを淡々と。
それでいい。それだけでいい。