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鍼治療を受けながら、自立とは何かを考えた。

ずっとここを目指してきたようにも思う。

経済的な自立と精神的な自立

親からそんな風に教育されてきたし
私自身もそこを目標に子育てをしてきた。

結婚して、子どもが生まれ、
会社を辞めてからも
お金を稼がなければ
自立しなければと
家事と育児のスキマ時間に
必死になって
作文添削の仕事を続けていた。

寂しい、苦しいと声を上げることは
心が未熟だからだと思い込み
精神的に自立した強い人になりたくて
平気なフリを続けていた。

いまなんとか
経済的に家計に貢献できるようになり
精神的にも妻や母、そして、娘という役割を手放しつつある中で思うことは

私は
目指すべきゴールを間違っていた
ということ。

生活できるお金を稼ぐこと
寂しさを何かで埋めること
これは自立でもなんでもなかったな。

イメージするなら、
「自立」と書かれた装飾品を身に着けて
周囲に「あの人は自立した人だ」と
認めてもらいたかったのだろう。


本当の自立とは
自分の力で立っているという
傲慢さを手放すこと

「あなたにとっての自立とは」
と問われたなら、
今の私はこう答えるだろう。


会社での仕事も
家庭での生活も
地域の中での暮らしも
旅行や遊びですらも
自分一人では何も成立しない。

誰かの思いがあって
誰かの支えがあって
誰かがそこにいてくれるから
そして
目には見えない何かの力によって
私はわたしとして今を生きている。

だからこそ、
ちゃんと自立して(傲慢さを手放して)
エネルギーの循環の中に身を任せて
全体を信頼して生きていこうと思う。

受け取るばかりの時もあっていい。
与えるばかりな時もある。

でも、そのタイミングは自分では決められないのよ、たぶん。

自分は受け取るばっかり
と思っていても、
気づかないうちに与えているものも
必ずある。
その逆も然り。

私たちにできることは
自分の心を満たすことくらい。
そして、難しく考えすぎないで
自分の良心に従って行動するだけ。


犬たちは自立のスペシャリスト

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