ズキズキ
自分を傷つけてるから深いで見えないからなにも悩んでないでもない
みんなが泣いてる中私は泣けてなくて、泣いた方がより悩んでて苦しい思いをしてるから私は辛くないし頑張れてないって思っちゃってなんだかなあ、って気持ちだったけど、
やっぱそんなことなくて、心を揺らす言葉とか突き刺さるものがなかっただけでわたしは感情があるしそういう人がいなかっただけ
前に下書きに入れていたこの文章
もう一度同じようなことを書こうとしていたところで下書きにはいっていたことに気が付いた
やっぱり思考はループしている
大変不謹慎で書きづらいことではあるが思ったことを素直に書いていきたいので、書く
泣く、という見えるのだけでなく自傷行為所謂、リスカ等ですね
だったり自らいなくなることを選ぶこと
そんな方をすごいなと思ってしまうのです
その勇気と意志と、行動力と、
そんなことを思われるためにしているのではないのはわかります
でもわたしにはできないと思うから
いなくなるときには大きな出来事でなくて
意外と些細な大きさで比べたら片手でつぶせるもののせいでふわっといなくなってしまうのだろうなと思います。
で見える傷ほど、起こした行動ほど、深さや本当が見えると思って
自分はそこまでもいけてないし
どっちつかずの何処にも入れてない人間だと感じていました。
わたしにも傷がついていることわかればいいのになとか
この傷が目に見えれば楽なのにと思ったことも
あります。
そんなときに神聖かまってちゃんの子さんの
切り抜きが流れてきました
心の傷とリスカの深さは関係ないという
言葉を聞いて
少しこころが軽くなりました。
その時はその人が誰だかわかっていない状態でした
会うたび、毎度感情に触れるわたしの尊敬する方が
いるのですが、その方と話していて
わたしがあのちゃんのI’sのライブに行った話をすると
その方もわたしの歳に神聖かまってちゃんの
ライブに行ったという話を聞きました。
名前は聞いたことがありましたが、
あまり知らなくて、、
そこから調べ始めてあの切り抜きがの子さん
だったのです。
やっぱり似ているなと、
わたしとわたしの尊敬する方も似たグルーブを
浴びていたこと
あのちゃんとの子さんも似たようなものを持っていると
二人の二つのグループの関係性も歴史を少しだけ見ました
そんな少し運命的な偶然にうれしくなりながら
感情に触れてズキズキと
また思考が自分の届かないところまで遠のいているような
底が深まったような
そんな気がしました。