こぱん
あのちゃんについて
吐き出してる感情
世界が終わる夢を見た日に 滅びの前のシャングリラを読んだ 久 人生のボーナスポイントを貰ったような時間を 過ごす今、少し前と変わらずそれ以上の思いで あのちゃんを追いかけている その想いはTwitterを主に noteに書いているようなわたし自身の感情を あの子を通して吐き出してしまっている 思考性と感情の捌け口である そのためここに書くことがわからなくなってしまっていた その想いをここで綴るにはわたしがいなくなってしまうようで 自分のものであったはずなのに あの子を
つめたいよきみも見るからに
風が冷たくて鼻がツンとしたから、秋
すきな分、自分が惨めになる
世の中早朝から稼働しすぎ
楽曲の大体が結局は愛について語られているように思う そして様々な表現者がいる中で結局のところ メッセージが込められている内容が完全に独自で 被っていないことはない、のかも知れない ある時 この人が表現してくれるのなら わたしが音楽をやる意味はないのかもしれない そう思った そして 伝えるメッセージ性について考えていた時に 小学校の道徳の授業を思い出した 感想を発表するときに、 前に言った子と同じ意見でも発表していいんだよ、と先生が言っていた "○○さんと同じで〜と
1番最初にあげた初めてnote.は取るに足りない自己紹介だったので、改めて、 本音はみんな自己紹介でめちゃくちゃスキ集めてるから何者でもないけれど、わたしを知ってもらうきっかけを増やしてもらえたらと思った訳です 何者かを表したくなくて簡略な自己紹介をしていた訳なので、やっぱり詳しいとこは言わないことにする アイデンティティ 年齢:なし 年相応に、と思っていたけれど若く見られる分には若く見られとこ、と最近思い年齢不詳で生き始めてます 性格:INFP、極度のめんどくさが
なんの予備知識もないままに クィアの作品であることもよく知らずに でも予告が出た時から絶対に見ようと思っていた作品 公開初日は台風だったため、断念したが 数日後足を運んだ 先入観もなく見れたのはとてもよかったと今では思う。 2人の男の子の関係によくやく確信が持てたのは よりくんがキスコールをされ、 キスさせられようになった時だろうかそこから あれ、そうか、そういうことなのかと 1度目 台風のシーンで動かない列車に乗りようやく2人の 世界になり、坂本龍一さんの音楽が流れ
誰かの幸せは僕の不幸せ あのちゃんのBLOG「あいどる」を読んで、この音楽が浮かんだ いままでの言葉からもこの曲に当てはまっていると感じる部分が多数ある ニュースを見て、目に入るものから沢山受け取ることがある自分にも他人にも思うこと この世界の諦めと、でもわかりあいたいと思う日もあってそんな気持ちが最後の最後に現れている 強気に見せて見えてだいぶネガティブなあのちゃん その根源はどこから、 幼少期いじめられていた、友達だと思っていた子に裏切られたと言う話を聞いた 他の
自分的にいいものが書けたと思うものはあまり見られず、これスキされるんだと自分のいいと人のいいは違うものなのだなと 検索にかかりやすいものはやはり目に入ることが多いのだろう、そういうコツもあるのだろう 書いたからには見てほしいという思いが芽生えたり、たり、ね、
特に閉鎖的な空間で争いが生まれたとき、わたしがすべきことはなんだろう 正義感を持ち合わせたいと思う反面 歳を重ね争い感情をぶつけてることに疲れてしまう 諦めることを知ってしまった。 これは多数の人が抱えているものなのでは、と考えているため欲のままに怒ったり、他人に感情をぶつけられる人はシンプルにエネルギーがすごい。 電車は最も罵声が聞こえる場所なのではと思う。 あの、至近距離で他人が怒鳴られているシーンを見るのは快いものでは全くない。 辛い、泣きたくなる、心臓がぎゅっと
あのちゃんは思春期そのものかもしれないという 文章をみて、納得した。 純粋な子ども心から少しずつ大人でいることに慣れ 繰り返しの毎日と自分を殺して社会で生きていくことを実体験している 大人になりたいと無力な自分を変えたいと願ったことは、いつしか知らぬまにこれが大人ってことか と分かるようになってしまっていた 希望や願いは実体や見えるものではなくいつのまにか自分がそのステージにいて叶ったとも思わなくなっていた場合も多いのであろう そこから抗いたい あの時の気持ちをもとめて
自分と向き合いすぎて、大事にしすぎて、 人を大事にすることだったり馳せる思いを 自分自身と関連させてしまって どこかで他人に見せるように考えてしまって こう見られたいだとかを軸にしてしまって その人自身には何も伝えられていなかったかもしれないと思った インスタのストーリーで伝えるには、大多数が見る場では本当の感情を載せることが難しい 見せたくないところもあるから かと言ってその人自身に伝えるにはその気持ちの お返しを求めているようで、 (ストーリーもお返しはあるが、 より
I's 4月15日あのちゃんにあった日 ズキズキするあのちゃんを考えると削られていく感じがする 会う前と会ったあと そこに立っていた命を見てしまったから ゆれる不確かな偶像から届きそうで届かない絶対に違うけど同じだと思いたい生命としての存在を認識してしまった 正直これを書くのも苦しい 会う前はもっとラフで確かにすきだったが今では一挙手一投足が高カロリーで自分が削られているような気がする きっと愛しすぎている愛されたいと願ってしまう それが生きているって思うんだ 感情の
そろそろ、もう、そろそろ マスクをしてる人がマイノリティになってくるのではないかと追い詰められる今日この頃 暑いのに、 もう感染しないのに、 外せない遅れてる奴 マスクしてないやつを変な目で見るような世界だったのにな そんなもんだよな移り変わっていくもの マスクをはずして歩くことは自分の恥部を晒して歩いているようなことになってしまった 清々しく顔面を晒してにこやかに歩いてるカップル、元はこうだったと何もなかったように外すおじさんや若い美男美女 (わたし統計では20代
満たされるって何なんでしょうか その方法はどこにあるんでしょうか しあわせ沢山あると思ってもやっぱり虚無虚無虚無があって、なんだかなあ 端末を触る時間が多いのがいけないのでしょうかいかんですね脳死