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世渡り 水の章 #1

この世界は俺を殺す気だ。外部マイクを通じて流れるのはゴウゴウという水流の音。視界は暗く、見えるのはせいぜい数十m先。俺は10ノット以上で流されている。唯一の帰り道、あの緑に光るポータルから。

ルール1:ポータルを通れるのは人体および付属物。※大きさ制限あり。

ポータルによる異世界転移は意地悪な誰かさんのおかげか、人体および付属物、具体的にいうと服とか眼鏡とかだ、に限られ、無人探査ができない。そこで人類はこのイケてる気密パワードスーツを服ということにした。

ルール2:ポータルには数列で転移先を設定できる。※法則は不明。

だから俺のような〈世渡り〉がどの数列でどの異世界に行くか試してるってわけだ。9割は宇宙空間。1割は惑星。地球外生物との遭遇は2例のみ。世渡りが帰って来なかった設定はおそらく何かがまずかったということになる。
つまり今回がそれだよ!この世界は俺を殺す気だ。くそったれ。

〈位置保持スラスター作動まで2秒〉

〈服〉のは加速度センサーをもって俺がポータルから流されていることを検知、自動で相対位置を保つかどうか選択を求める。ノー。スラスターは基本的に宇宙空間用で、1G大気中でも俺を浮遊させる程度は可能だが、今回は相手が悪い。水……いや本当に水かは分からないが、液体の流れには太刀打ちできまい。オフ。

ルール3:ポータルを通じた通信は可視光波長の極一部。至近距離のみ。

ああ、ポータルが遠ざかる。〈服〉は通信用レーザーをポータルに指向し、できうる限りの情報を伝達する。光が直進して向こう側に届くわけではないので(磨りガラスを想像してもらいたい)、向こう側からこれに返信することは難しい。バカでかいセンサーでこっちから送った微かな光を検出、復号し…救助は不可能という結論を出すだろう。

これは〈世渡り〉を単独で送り出す理由だ。帰還不能な場合、無意味に未帰還者を増やすことはない。通信が途絶えた、つまりポータルから離れたか何かが起きた、場合、そのポータルに別の隊を送ることは危険と判断される。センサーで一週間かそこら通信を待ち……いずれは放棄されることになる。

これはいよいよ絶望か?そうかもしれない。だがやるだけはやってみるしかない。それが〈世渡り〉の流儀であり、俺の知る世界への向き合い方。落ち着いて……落ち着いて。

〈圧縮空気供給:インフレータ、10%〉

カチッと音がして圧縮空気の電磁弁が開く。肩の後ろと胸の継ぎ目からオレンジのプラスチックバッグがはみ出しゆっくりと膨らみ出す。外部圧力の数値を睨む。インフレータが膨らみ〈服〉全体の比重が軽くなれば、浮上に転じ、液面に出られるかもしれない。

〈服〉はゆっくりと回転し〈上〉が定まる……つまりこの世界には重力があり……イコール浮力がある。外部圧力は順調に低下していく。視界は明るくなっていく。照度計によれば錯覚ではない。この世界には少なくとも光があるということだ。液体があって……重力があって……光がある。外部温度13℃。この時点で液体の水が存在する地球型惑星である可能性はかなり高い。

馴染み深い水音が鳴り、バイザーには雫が流れ、視界は急に明るくなった。液面だ!青空があり……恒星が輝き……雲がある。重力加速度約1.3G。これだけ地球に近い世界はレアだ。これはボーナスが期待できるぞ。帰れればの話だが。

〈サンプルチャンバー1、2を作動〉
〈サンプルチャンバー1物理測定〉

えーとつまり、外部の液体をちょっと取って密度や比熱や吸光スペクトルなんかを分析する。99%以上水がベース。光と水があるのはいいニュースだ。プカプカ浮きながら太陽電池と電気分解で酸素を供給すれば、俺の寿命がさらに何日か伸びるだろう。これだけ温度が高ければヒーターもそれほど使わずに済む。

〈視覚座標系の推測を開始〉

海面に出たので(惑星のでかい水たまりだからもうこれは海って呼ぶことにするよ?)空が見える。内蔵カメラが水平線を基準に恒星の動きを記録する。恐らくはこれで大体の自転周期が測定できる。自転してるといいな。陸地があれば位置の基準にもできるだろうが、見渡す限り水平線だ。ポータルからどのように流されているかは、内蔵の加速度センサーに頼ることになる。現時点で既に500mほど。

ルール4:ポータルは慣性系や自転に応じて固定されている。

ポータルは動かない。正確に言うと、この惑星にしても自転あるいは公転はしているだろうから、もしポータルがこの惑星の中心とか、恒星に対して固定されているのなら、あっという間にどこかにすっ飛んでいくはずだ。しかしそういうことはない。かといって、押しても引っ張っても動かすことはできない。

これはつまり、ポータルはあの場所にずっとあって…俺は海流か何かに流されていることを意味する。宇宙空間でも活動可能な〈服〉だが、海流に逆らって推進するほどの力はない。むしろスラスターで空中に飛び出せば、500mよりちょっと戻って着水、インフレータを収納し自重で潜りながらポータルを見つけられるかもしれない。

ちょっと迷ったが、結局それはやめにした。可視範囲に緑に光るポータルを見つけたところで、海流の中を近づくのは至難の技で……そんなことを考えているうちにどんどん遠くなっていく。これではいくらパワードスーツに包まれていると言っても、地球の海で流される遭難者と何も変わらない。やっぱりくそったれじゃないか!

いや、まだ希望はあるな。流される速度が落ちている。この海流がいずれ止まるのであれば、戻れるチャンスはあるだろう。それまで気長に待つとしようか。

〈数独を起動〉

#1終わり
いつかの#2に続く

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