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#想像していなかった未来たちの先にある場所


1年前の今日、私は友達のAnneとアートの島・直島で誕生日を迎えた。


誰がそんな未来を想像しただろう。

フランス人夫妻と11日間も四国を旅行するなんて。
それも私がひとりで1000Km を運転して…
結婚してからは、高速は運転したことがないこの私が。

ようやった!
というか、自分でも信じられない。

だが振り返ると、人生はそんな想像していなかったことの連続だとしみじみ思う。

20歳の私が見た未来では、
自分が結婚することも怪しかった。
他人と一緒に暮らすなんて考えられなかったから。

30歳の私が見た未来には、
4児の母になるなんて想定はなかった。
子供はサッサと2人産んで、働きに出たかったので。

40歳の私が見た未来では、
会社員としてフルタイムで働く日が来るなんて考えられなかった。 
正社員の職歴なし、英検2級と運転免許以外これといった資格なし、子だくさんの片田舎住まいの条件では。

50歳の私が見た未来には、
占い師になるなんて微塵もなかった。
そんな胡散臭いものは大キライだったから。

60歳の私が見た未来では、
子供に先立たれる母になるなんて思いもしなかった。
孫たちに振り回される賑やかな日々を覚悟していたので。

オマケに、英語の通訳ガイドになるなんて!
高3の担任にダメ出しされた英語力で、留学も駐在の経験もないのに…

いい意味でも悪い意味でも、人生は描いた未来像を裏切り、想定外の展開を見せてくれる。限りなく終盤に収束していく中、誰がこんな人生を想像しただろう。

振り返ってみると、
目標に向かって頑張り続けて勝ち取った人生ではない。
かといって、天に丸投げお任せにしたつもりもない。
ただ、その場その場でできる最良の選択肢を最大の努力でこなしてきた自負はある。


例えばフランス語。

なぜ、フランス語を始めたのか?
よく聞かれる質問。

進路を決める高3の頃、文系頭の私は文学部で国文科(日文科)か、歴史学科ぐらいしか選択肢が思いつかなかった。でも何か平凡でつまんないという気もしていた。ここは変わり者の天報星が発動したのかも知れない。

そんな時、倉橋由美子という作家に出会う。
『暗い旅』を読んで、そこで展開される世界に頭をぶん殴られたようなショーゲキを受け、脳震盪をおこしそうになった。
彼女は仏文科卒で、作品にはフランス語が飛び交っていた。私は吸水紙のように彼女色に染まり始めた。

そうだ!フランス語は国連の第2公用語だから、仕事もあるだろう。英語と違って、後発組でもあまり差はないハズ。それに、なんかカッコええや〜ん、
と急に仏文科が浮上した。

17歳の世間知らずの小娘が考えたことには誤算があった。

正直、私は文学部仏文科と外国語学部仏語学科との違いも分かっていなかった。仏文科とはフランスの文学を学ぶところで、もちろん、フランス語会話の授業もあったが、仏文科を出たところで、ペラペラ話せるようになる訳ではない。

また、フランス語は第2公用語といっても、仕事の需要の点では、英語との差は歴然としている。英語なら中学生向けの塾講師の採用もあるが、フランス語の塾なんて田舎にはなかった。

結婚・出産後も日仏学院へ通ったり、仏語翻訳講座を受けたり、フランス語に関わる仕事につけないかと色々やってみた。約10年のあがきの末、職に就くため、大げさに言えば食べていくため、とうとう英語へ転身を決意。

その時点で、フランス語とは完全にオサラバした。
私のキャパが狭いからか、フランス語を捨てなければ英語は入らなかった。

英語を使う仕事についてからは英語中心の生活で、フランス語は遠い昔に好きだった人のように思い出すだけだった。

退職後、観光案内所のボランティア業務を始めると、窓口には結構たくさんのフランス人が来ることがわかった。
おそるおそるフランス語であいさつすると、向こうも喜んでくれる。やり取りしているうちに私はまたフランス語をやりたくなった。決別してから約30年が経っていた。


そんなある日、高校の同級生とランチをしていると、大学時代の話になった。
彼女は私に、「なぜあんなにフランス語に傾倒していたのに捨てたのか?」と半ばなじるように言った。
「いえいえ稼ぎに出なアカンのに、私のフランス語は仕事ができるほどの能力がなかったから」と弁明した。

彼女の話は続いた。
私と同じような状況だった彼女の友達が諦めずにフランス語を続けた結果、今は大学で教えるようになったと。

「そうなん?じゃあ私ももう一度フランス語やってみるわ」と調子に乗って、口から言葉が滑り出た。

だが実際には行動を起こすこともなく、日々が過ぎて行った。
それから1年あまりして、私は偶然にAnneと出会うことになったのだった。

奈良の若宮おん祭りの松の下式の予約席で隣に座った外国人の夫婦に声をかけたのがはじまりだった。
観光案内所では、統計を取るために「どこから来ましたか?」と聞くのが仕事なので、いわば職業病的に声をかけてしまう。

たいていは少し話をして終わるのだけど、私がフランス語を勉強していたと聞くとAnneは私の腕を掴み、この後一緒にランチに行こうと誘った。

それ以来、私たちはパンデミックの間もWhatsAppで連絡を取り合い、昨年やっと再会して一緒に旅行をすることになったのだった。 そして、たぶん来年は私が渡仏する。地中海を見るために。

偶然は必然?
私はやはり、フランス語と繋がるようになっていたのだろうか。
天の計らいとしか思えない展開。

私たちの現在は想像していなかった未来の連続の先にあるのだと、つくづく思う。


#想像していなかった未来
#フランス語
#誕生日



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ちづここや🚩道先案内人(通訳ガイドで占い師)
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