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尿(ゆまり)を飲める人、飲めない人の違い

僕はこの世界に飛び込んで2024年で約7年になる。

その間、多くの実践者の話を聞いた。

そのメリットを、縁ある知人、友人、職場の同僚、家族、などに伝えて来た。

その中で、すぐに実践できる人、全く拒否してしまう人、人それぞれだ。

一般的に主流科学では根拠のない迷信だとされている。

それを信じている人は、まずハッキリ言って実践する縁がない。

灯台下暗し、とても身近にあるのに決して実践する事がない。

結論から言ってしまえば、

実践する人は、自己受容力がある人だ。

実践できない人は自己否定の世界に閉じ籠っている人だ。

それが真相だと思う。

自己受容力のある人は全てを愛する器の広い心を持っている。

もしくは、その入り口に立ったとも言える。

そして、真実を知る機会を得た人でもある。

実践できない人が綺麗事を言っても、そのうわべの心を見抜いてしまう。

実践すると、世の中の嘘がよく見えるようになる。

僕は、尿療法とは呼ばない。

療法なんて、名前をつけるから誤解が生じる。

これは、生き方や信念の問題なのだ。

これを、

宗教やカルトなどとレッテルを貼るのが好きな連中の意見はくだらない。

悪魔だ、迷信だ、なんだといちゃもんをつけたがり、

実践しない為の心をより強化しているに過ぎない。

民度の低いツイッター等で、勝手に言わせておけば良い。

心ある医療現場で採用されるべきだとは思うが、

正直なところ、医療というファクターばかり見ていると見失うものが多い。

医学の分野で、ああでもない、こうでもないなどと、

つまらない知識を捏ねくり回しても、

その本質を多くの人々は理解できないからだ。

成分の事などは理解の助けにはなるかもしれないが、

本当に浅い触りの事でしかない。

あなたが、本当に単なる老廃物、身体に不用なものだと思っているなら、

科学論文を読んでも無意味だろう。

結局のところ、実践できない人は、科学的根拠が出揃っても実践できない。

自己否定の観念に支配されているからだ。

その根は、想像以上に深い。

ハッキリ言って関わると面倒くさい精神性と付き合わされる確率がかなり高い。

自己否定の心を頑なに信じている人を説得するのは、

骨折り損のくたびれもうけ、何一つ良いことはない。

だから、本当に大切だと感じている人にしか伝える気がしない。

結局のところ、他人の意見を変える事はできないし、

自分自身を変えていくしかない。

自分自身を愛し、受け入れる心があれば、誰でも実践できるのだが、

それは、必ず実践できる人とできない人の比率が現れる。

大多数の意見が必ずしも正しいとは限らないという事を

身をもって実感した人ならば、

あなたは僕の話を信じて実践する機会があると思う。

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