【漸進という魔術】2017シーズンのヤン・ヨンソン体制について
このエントリは2017年12月にサンフレッチェ広島の幸運な残留を祝して、2016シーズンと2017シーズンで何に失敗し、ヤン・ヨンソン監督は何を行ったのかという意義を整理しようとする記事の予定でしたが、突然の解任となり失意(というか激高ですね。)のうちにお蔵入りとなったものを、再編集したものです。
シーズン開始数節時点での絶望感、その絶望も序の口だったのかという一家心中をやらかしてくれた前半戦から考えると、ヤン・ヨンソン体制は詐欺か何かのようなペースで勝ち点を積み上げ(18試合で11だったチームが16試合で22拾ったそうです)、1節を残してJ1残留が決まりました。
ヤン・ヨンソン監督は、J2を過酷なメキシコの荒野に変えた外国籍監督たち…エキセントリック戦術おじさんやカルチャーショッキングでドモホルンリンクルな欧州基準…ということもなく、ごくごくオーソドックスに試合を展開し続けていました。
というよりも、他の選択肢が全くなかったのだと思います。それについてはもうなんぼ繰り返したかわからないほど書いたのですが、もう一回だけ。
一番大きかったものとしてはDFラインが撤退マンであることと前から守備に行かないとボールが奪えなくなった広島攻略法の充実との歪みを埋め合わせるため、求められた個人能力のハードルが常軌を逸していました。
その”常軌を逸したハードル”が基準とされてしまったがために、世代交代に不可欠と目される能力の持った選手の多くを失いましたし、既存戦力も補強した選手も認知と実行の面でぐちゃぐちゃになってしまい、精神的にも追いつめられてしまっていました。
ヤン・ヨンソン体制はそのようなまさしく「焼け野原」のような状態からスタートしたと推察されます。「焼け野原」と称することもかなり控えめな表現だと自負しています。丹羽大輝をSBに固定した守備的な4バックでライン間を狭く保つので精いっぱいで、孤立するパトリックに放り込むことしか道がない状況でした。
残念ながらそれはかなり続くことになってしまいましたが、唯一の目標である15位に向けて耐えがたきを耐えて勝ち点を積んでいましたし、さらには、前体制で持ち味を殺されていた稲垣祥、フェリペシウバが素早い切り替えというモットーにハマることで、当初に掲げていた「5バックは守備的すぎる。攻撃的にやりたい」というサッカーをジワジワと形にするところまで持って行ってくれました。
相手の最終ラインからボールに対してプレスをかける、プレスを外されてももう一度アタックして選択肢を最後まで削る、奪ったらボールホルダーを追い越す、空いたスペースを自覚してボールを要求する....
当たり前のことですが、この2年間でいつしか当たり前でなくなったことです。精度も持続性も足りてないですがここ2年に比べれば十分闘えるくらいには良くなりつつあります。青山が復調してくるとボール保持にも余裕を持つことが出来てき始め、椋原健太、高橋壮也のより攻撃的なSB起用にも目途が立ったことで、流れるようなポゼッション攻撃の萌芽が芽生えました。
その「当たり前」のプレーをとりあえず90分試合にはなるというところまで行ったことが、最終的にほかの低迷フレンズよりもほんの僅か、本当に僅かでしたが、利することになったということでしょう。アルビレックス新潟が降格決定のタイミングで発奮した裏で連勝できたことが本当にタイミングが良かったというだけで、勝ち点も得失点差も降格したチームと全く差がなく、幸運な残留だったとしか言いようがありません。運はやはり、努力することに成功した方へと転がってくるもので、口を開けて待っているものではないのです。
英雄的で鮮やかな「魔術」ではありませんでした。それでもただ実直に、文字通り路頭に迷った選手たちを繋ぎ合わせて闘える集団に作り直し、最終盤には流れるような連携からゴールまで持っていって見せるまでに"復興"させた仕事ぶりは、シーズン当初から考えれば完全なる魔術として映りました。
劇的なことは一切なく劇的な残留を成し遂げたヤン・ヨンソン監督には最大限の謝意を示したい。本当にありがとうございました。