Spotify「King Crimson 20」
ぼくの Spotify プレイリストのなかでも「King Crimson 20」は例外中の例外です。いきなりのエクスキューズで恐縮ですが、というのも Crimson ファンならご存じのように、その著作権は DGM によって厳しく管理されているからです。原則として、ぼくの自作プレイリストは公式アルバムのスタジオ録音から取捨選択しますが、現在のところ DGM はサブスク配信にたいしてきわめて消極的です。つまり、DGM がお墨付きを与えた特定の音源を除き、スタジオ録音は入手できない、イコール、ピックアップ対象が限られる、という状況です。
なので、Spotify の現リストは妥協の産物、とも言えます。それなら、本稿では「本来作成したかった」アナザープレイリストを綴りましょう。
King Crimson の活動時期
50年以上に及ぶ King Crimson の活動時期をいかに分類するか、これは諸説わかれるところです。ただ、プログレという言葉がいちばん似合い、なおかつぼく自身が深く聴きこんでいた時代 (1975年~77年)で区別するなら、以下のようになります。ぼくらは当時、一度目の解散を挟んで前期/後期という呼びかたをしていました。まして 81年に再結成するとは夢想だにしていませんでした。
ぼくが作りたかったアナザープレイリストは、このあたりが対象です。早速、各アルバムから選抜候補をピックアップ。
素材のピックアップ
厳しく絞ったのですが、それでもざっと28曲になりますね。前期10曲、後期10曲、再結成期 8曲、なのでバランスはいいと思います。Fripp 自身がたびたび言及するように、Crimson にとっての最重要アルバムは「クリムゾンキングの宮殿」「レッド」「ディシプリン」の三枚です。それぞれが活動時期を代表/象徴していて、そういう意味では活動区分による音楽性の違いは把握しやすいほうです。
それを手掛かりにすると、前期の「Pictures Of A City」と「The Devil's Triangle」のどちらかは割愛でしょうか。「Prelude」「Islands」は絶対にニコイチの並びですね。あと Crimson のライフワークとも言える「LTIA」については、後期の Ⅰ & Ⅱ を採りたいので Ⅲ は選外 (代わりに Level 5を採用)。こんなところが脳内を走ります。またプレイリストの流れを考えると、前期を重視するならオープニング「21st Century Schizoid Man」エンディング「The Court Of The Crimson King」、後期重視なら各々「LTIA Ⅰ」「Starless」かな……。甲乙つけがたい似た曲としては「In The Wake Of Posidon」と「Epitaph」、「Fracture」と「LTIA Ⅱ」の組み合わせがあるので、これらは離してセットしたいところ……。
といった感じで、酒を飲みながらプレイリストの順番を考えるのが楽しいの楽しくないのって=だから楽しいのです。ついでに ↓ の動画を加えていただくと、酒のうまさはもっとアップします (クリムゾン・アンバサダーと呼んでもいいスターレス高嶋さん、Episode10 まであり)。
前期/後期のおもいで
ぼくの Crimson との出会いは、やはり記念碑的な 1st「クリムゾンキングの宮殿」でした。評判はすでに知っていて、プログレというジャンルにも充分馴染んでいたはずなのに、それでもこの処女作のインパクトにはぶったまげました。出だしから炸裂する歪んだギター、メロトロンの荘厳な音色、ジャズっぽい展開、高尚な歌詞、いずれもが超ド級。とくに中2 のぼくが嵌ったのは、メロトロンを駆使した壮大かつ深遠な世界観と Crimson のベースに流れる美メロです。前期クリムゾンの特徴として (1st はとくに Ian McDonald の存在が大きかったので)、美しいメロディをまとめた楽曲ごとのバランスの良さが挙げられます。対称性があるというか、構造的に安定しているというか (ちなみにこのメロトロンはやがて Genesis へ譲られます)。
端的に言って、中学生のガキにはそのほうが心地よかったのでしょう。のちに後期クリムゾンが理解できるようになるまで、ぼくは曲中のフリージャズ的展開が邪魔だとすら思っていましたから (King Crimson という音楽体験はリスナーの成長も促してくれたのです)。
そして「クリムゾンキングの宮殿」で忘れられないのが、T家さんとの深夜電話です。T家さんは、中3 の秋から付き合った同学年の彼女です。当時はいまみたいにデータで音楽を送信することはできません。レコードやカセットで共有はできても、いまこの瞬間のこの音楽をいっしょに聴くことはできなかったのです (ウォークマンが発売されたのは 1979年)。ほら、スマホで音楽再生中のカップルがイヤホンをおたがい片方ずつの耳で聴くでしょ。要はあれですよね。親の目を盗んで長電話をすること自体が、とてもリスキーな時代でした。だからこそ、余計に燃えあがるというか、ちょっぴり大人の世界に足を踏み入れるというか、ぼくは T家さんに「今夜 12時きっかりに電話するよ」と約束しました。
そのときの 3曲が「エピタフ」「風に語りて」「クリムゾンキングの宮殿」でした。ぼくはレコードをカセットテープに録音、続いて枕元にラジカセとダイヤル式黒電話をスタンバイすると、10時頃にはもう寝床に入って刻々とそのときを待ちました。果たして、着信コールが鳴るか鳴らないかのタイミングで受話器をとってくれた瞬間は、手に汗がビッショリだったのを覚えています。「もしもし」「ふふっ=微笑」「ご両親はもう寝た?」「うん、たぶん」「じゃ、曲かけるよ」「うん」。受話器をラジカセのスピーカーに近づけます。それでも彼女の息遣いはわかります。きっと現在でいうところの「からかい上手の高木さん」的世界……。いま T家さんはどんな格好なのかな、と思うと胸が高鳴り、耳元のひそひそ声が可愛くて……。
閑話休題――、続いて後期クリムゾンですが、ぼくはこの時代の先進性を理解するのにかなりの時間を要しました。先述したように Crimson の入口が美メロだったのですから、なぜ Fripp は曲の統一性を壊すのか、その気になればメロディメーカーとして一生メシを食えるのに、等々とても悩ましく拘泥しました。フリー・インプロヴィゼーションを理解しようと Fred Frith を聴いたり、哲学入門書で「脱構築」をお勉強したり。突破口になったのは 6th「暗黒の世界」です。このアルバムはスタジオ録音とライブ録音との混合盤で、かなり複雑な制作過程をもった作品です。で、即興演奏という単語をぼんやり考えながら「Fracture亅を聞いていたときでした。稲光に撃ち抜かれるように、不意に天啓が降りてきました。
正確には、ヘビーなメタルサウンドに身を任せているうちに突如としてカタルシスを覚えた、と言ったほうが適切です。「Fracture」の7分40秒からのギターリフが、ぼくの脳を解放して覚醒させたのです。レコードを聴き終わったあとは、しばらく放心状態でした。なんだか、早送りでいっぺんに脱皮したような気がしました。そうなると、あとはもう底なし沼です。「USA」の「LTIA Ⅱ」にメタルの最前線を見出し、当初は「Starless」の前半メロディ部を好きだったのが、覚醒後は後半インスト部のほうが快感になる、といった具合。Fripp 大先生を信じてよかった、それまで修行僧のようにひたすら耐えてきたのが、やっと免許皆伝を認められたようでした。目の前には神々しい音楽の地平線が開けていました。
大袈裟ですが、このイニシエーションは大きかったと思います。その後のぼくの音楽人生を豊かにしてくれた、という意味で、あのハードルを超えられたのは (事実 Crimson から離れていく多くは、後期の即興演奏あたりでギブアップしましたから)。
再結成期/以降の超越
そのような Crimson 体験をしているあいだ、肝心のバンドはずっと解散状態でした。そこに再結成のビッグニュースが飛び込んできたのが 1981年の春先、しかも Talking Heads の Adrian Belew が加入する、というので、ぼくらは喜び勇んで新譜を予約しました。半年後、やがて手元に届いた「ディシプリン」はファンの想像をはるかに超えていました。音楽業界も騒然とするほど、まるで別バンドによる作品みたいでした。ニューウェーブの洗礼を受けた、ミニマルで洗練されたサウンド。リズム隊はポリリズムを採りこみ、ギターと複雑なアルペジオを織り成します。
賛否両論が巻き起こったのは当然でした。ぼくはしかし、それほど落差は感じませんでした。というのも、ニューウェーブをすでに受け入れてリスナーとしての守備範囲が広がっていたから。より具体的には、Talking Heads の傑作「リメイン・イン・ライト」がアフリカン・リズムを導入してロックに革命を起こした、という予備知識があったからです。なるほど Fripp はその要素を採り入れたかったのか、と勝手に合点していた節もありますが。それよりも、ぼくらはもっぱら Adrian Belew がいつクビになるかに賭けていたっけ「John Wetton より長いと思う?」「短いに千円!」。
実際のところは、ぼくにはもう免疫ができていた、と言うべきかもしれません。King Crimson のことだから歴史がいまに追いつくだろう、といった免疫です。字義どおりの意味でプログレッシブだからこそ、時代の表層現象に囚われる必要はない、些末な問題に過ぎないのだ。そんな悟りの境地みたいなものを、一端の Crimson ファンはもうとうの昔にインプットされていたようです。
以後の Crimson の活動は、まさにそれを証明するかのように (度々の活動休止を挟みながら)、後に続くフォロワーたちから再評価/再定義され、つねに現役としてのパフォーマンスを提示しつづけます。94年からダブルトリオになってヌーヴォメタルを標榜した際も、その萌芽は70年代の後期 Crimson 時代にすでに見られたもの。また2001年にTool とのジョイント・ツアーを行ったのも、そこには他の追随を許さない真の音楽巡礼者とでも言うべき同志のリスペクトがあったからだと思います。凡百のプログレ・バンドが「昔とった杵柄」で集金ライブを続けるのとは訳が違います。もはや Crimson に新曲は不要です。過去の楽曲をライブ演奏することによって、再構築された「似て非なる新作」を産みつづけるからです。
そういった視点で現行プレイリストを見直すと、これはこれで悪くないな、という気もします。オールライブ音源もまた Crimson にはふさわしいと。
それでは、また。
See you soon on Spotify (on note).