「観る将」
※2023年の新語・流行語大賞に「観る将」という言葉がトップテン入りした。自分も将棋観戦が趣味なので、そこに便乗してみたい。ちなみに書いたのは今年の10月であり、肩書も当時のものである。
悲喜混じる夜に
2023年10月11日、第71期王座戦五番勝負第四局が行われた。同日20時59分、永瀬拓矢王座が投了した。それと同時に藤井聡太七冠は王座を含めた将棋界の八大タイトル全冠制覇を達成した。私はその瞬間をインターネットの映像配信や棋譜中継アプリで見ていた。
投了の15分程前までは逆に永瀬王座勝勢であったという。一手選択を誤ったがために逆転が生じたということだった。普段は解説を見聞きしなければ理解できない形勢の有利不利が、この時ばかりは対局者の様子だけで理解できてしまいそうだった。それほど永瀬王座の仕草には感情が現れていたと思う。それは動揺なのか狼狽なのか後悔なのか怒りなのか、はたしてなんと名付けられる感情なのかはわからない。わかったのは「見ていてつらくなる」という自分の感情にすぎない。
藤井七冠が勝てば前人未到の八冠達成となるので、おそらく終局直後にニュース速報が入るだろうと予想しテレビをつけた。ちょうどNHKで21時のニュースが始まろうかというタイミングであった。もともとの注目度が高い上に、終局のタイミングが重なったこともあるのだろうか。王座戦の結果はトップニュースとして大きく報じられていた。前人未到の偉業を素晴らしい明るいニュースとして伝えていた。当然だ。だが私は明るいニュースを見ている気分にならなかった。
直前まで見ていた対局室での出来事を思えば、ただ快挙を称えるというシンプルな心境には到底なり得なかった。私が見ていたのは逆転勝ちであり、同時にそれは逆転負けでもあった。しかも観戦者にまで痛みが伝わりそうな逆転劇であったではないか。それをすぐに明るいニュースに変換できるものであろうか。
私は将棋好きではあるがプレイヤーとしてそれが好きな訳ではない。観戦者として将棋が好きなのだ。また、とある棋士の熱心なファンでもある。自分がそういう立場で将棋を見る人間だから、あの時も想像していたのは藤井さんのファンの気持ちであり、永瀬さんのファンの心情であった。どちらのファンも涙なしにいられたであろうか。そんなことを思っていた。そして、それから自分自身の気持ちを見つめた。藤井ファンとも永瀬ファンともいえない私は、結局誰を思ってこの将棋を見て、何を感じたのだろうかと。誰をというのは先ほど述べた「とある棋士」だが、どんな心境だったかは今は胸の内にしまっておく。それでも歴史的な一局に対する個人的な備忘録をなにか残したいと思い一首詠んだ。
失冠と八冠の悲喜混じる夜に乾いた目で追うニュース速報
あの王座戦の8日後、私は棋譜中継アプリを開いて一局の将棋をじっと見つめていた。自分が応援している棋士の将棋を、祈るようにじっと見つめていた。彼は苦戦したが、最後は逆転で勝利を手にしていた。
その夜、私は泣きたくなるほど嬉しかった。
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