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愛猫の墓前へのお参り
2024年前半のお別れ
愛猫のすず(サビ・メス:7歳)と、お別れしたのが6月。
家の前の川沿いに咲く紫陽花が満開になって綺麗な見頃でした。
今年は梅雨の始まりが遅くまだ梅雨入り前で、お別れしたその日も翌朝も爽やかな風が吹く晴天だったのを覚えています。
お別れしたばかりの時は、一緒に過ごした直近の辛い時期の記憶が強く
寂しさよりも彼女が苦しみから解放されたことに、安堵を覚えたと記憶しています。
日常の生活リズムに戻り、しばらくすると心の中にぽっかり穴が空いた感覚が強く感じれ。
今まで楽しかったことが楽しく感じれなかったり、集中できなかったり
愛猫の写真を見て楽しい時間を思い出すと同時に、辛かった時期や後悔が思い起こされ涙する日々を過ごしました。
寝付けない、眠れない夜が続く時期もありました。
一緒に過ごしている家族がいれば、楽しかった思い出も辛かったことも共有試合ならが、悲しみももっと早く癒えたかもしれません。
一人で完結していく日々のリズムの中では、多少長い時間がかかったような気がします。
愛猫へのお墓まいり
12月30日。
年末の色々なことが落ち着いて、ゆったりとした気持ちでのお墓参り。
合同墓地なので自分がお参りすることで、他の犬猫も喜んでくれるかも。自分の猫も同じかもと思い時々足を運んでいます。
空気が澄んでいて日中は暖かく、墓前には沢山のお花やおやつが手向けられていました。
お花を置いて水を掛け手を合わせる。心の中で話しかける。
家でも毎日写真を見ては、話しかけたりして過ごしています。もう泣かないって決めたのに。
気がついたら涙が溢れていました。
亡くなったすずは、私が辛い時にはいつも側にいて見守り、目をゆっくり閉じて開く(大丈夫・大好きよ)というサインを送ってくれる子でした
彼女が病気になってからは、彼女の前では泣かないと決めて、毎日楽しく話しかけていました。
それでもどうしても声が詰まって涙を流してしまうこともありました。
そうすると決まって、彼女は顔をプイっと背けるのです。
まるで「自分のことで泣かないでちょうだい!」って言われているようでした。
そんな気丈で愛情あふれる女の子だったので、きっとまだメソメソしている私は見たくないだろうと思います。早く涙を止めたくて深呼吸をして心を落ち着かせるように努めました。
それから墓前を離れて帰路を歩いていると、突然右耳が塞がれているような感覚になり、頭の左側上~左耳のにかけて抜けるようなピーンという一定の音が聞こえて来ました。
すずが亡くなってからしばらくの間、家で手を合わせたときに起きたものと同じ感覚でした。
気持ち(意識)が彼女と繋がっているんだなーと感じる瞬間でした。
半年も経っているのに、まだメソメソしている私を見て「大丈夫!私は楽しく過ごしているよ。もう泣かないでね。」って言われている気がしました。
これからはもっと彼女が生前・親子のように過ごしたみや(アメショ・オス6歳)と、楽しい思い時間を日々重ねていきたいなと思います。
いつもありがとう。すずちゃん。
大好き&忘れないよ!