ユッケが生まれたきっかけ。凸凹特性のある子どもたちのサンプルになれたら。
2023年4月にゲーム粘土のイベントをやり始め、2024年8月までにキャンプ、もの作り、料理など、様々なイベントをやっている。
なんでこんなことし始めたのか?
その一番のきっかけは、ずば抜けた発想力の持ち主に出逢ったことだ。
ミドリくんとの出逢い
彼は、お腹に防災頭巾を詰め込んだり、小さな身体を上手に使ってランドセルの中に入り、廊下を歩こうとしたりしてみんなの笑いのネタを生み出していた。ある時は、自分の腕や足に緑色のクレヨンを塗りたくってアバターになっていた。(その日から私は、彼のことを密かにミドリくんと呼ぶことにした。w)
彼は、やること自体が面白いからやっていたのだけれど、その面白さが観客の一人である私にとってすごく共感する面白さなのだ。押しつけがましくなく、本人が無理している感じでもない。自然と笑ってしまう感じの面白さなのだ。
そんなミドリくんは国語の時間に文章を書くことがとても苦手だった。頭の中にいろいろな言葉が浮かぶからなのか、構成を考えるのが難しいからなのか、いつも書きたくないという感じだった。
そんなとき「なんか私みたいだな。」と思った。同時に「これからの社会はもっと自分の好きなことを仕事にしていけそうだから、私みたいに中途半端にならないで、その発想力をずば抜けるくらいに磨いたほうが、きっと本人も楽しいだろうなー。」とも思った。磨く、と言っても、何かのために頑張るというようなことではなくて、ミドリくんが、授業中に防災頭巾をお腹に入れて小太りの人を演じてるみたいに、「自然とやっちゃうんだよねー」という時間を増やすこと。
私みたいな中途半端にならないでーというのは、私は昔から手先を使って工作したり料理したりするのが好きだったし、まだ世の中にない新しいことを生み出すことが面白いと思っていたのに、それをやるよりも、いわゆる、ちゃんと勉強することに時間を使ってきてしまった。自分の好きなことにとことんのめり込んでいたら、もっと自分の好きなことで誰かを喜ばせることができていたのかなー?と。
これまで生きてきて、公教育は、いわゆる一般的な子どもたちに、これからの社会で必要そうなことを教える仕組みなんだと思う。
でも、ミドリくんみたいに凸凹が大きな子どもたちは、もっと自分の好きなこと、すなわち凸部分に時間と体力とお金を使って、自分が素直に楽しいとかそれをしてるのが好きと思えることをやっていったほうがいいだろうなと思う。
私はどうしたいのか
自分自身が中途半端なんだったら、まずは頭一つくらい出してみようかと。私は、工作や料理などのモノ作りが好きなので、自分の好きなことをやりながら、それが誰かの喜びに繋がって、できればそれが少しずつ生活していけるような仕事にまで育ったら、極端な凸凹をもつ子どもたちが、社会で自分の好きなことを資本にして生活していく(仕事を作るのか、どこかの会社に自分ごと売り込むのか、その両方なのか)ときのサンプルになれるのではないかと思う。
私はアイデアがどんどん浮かんでくるADHDっぽいところと、ASDのようにこだわりがあるところがあって、いろいろと苦労してきているので、私の実践が、現代のいわゆる発達障害とよばれるようなADHDやASDの特性のある子どもたちに有益なサンプルになったら嬉しい。