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レイプ魔 狂った欲情

「山崎さん、わたしは包み隠さずものをいうタイプなんですよ」

 壁にかけられた丸い時計。何に使われるのかわからない機械類。

小柄でやせ型だがやたらに胸の大きい看護婦のいる診察室の中で、メガネをかけた若い医者がいった。

「とくにウソがきらいでね。まあ、そのために、ずいぶん損もしましたけどね」

「はあ」

 医者は看護婦からレントゲン写真を受け取り、明かりの前に並べる。わたしは、わたしの内部を映し出した深い紺色の画を見る。

「これがね、胃なんですよ。このグニャリと曲がったのが。わかりますか」

「はい」

「でね、この黒い影。大きいでしょ、めったに見られるもんじゃないですよ」

 快活な様子で医者は説明をつづける。わたしはその男の態度に、自分の容態がはたしてどうなのか、まったく見当がつかない。

「山崎さん、年齢は」

「54です」

「ですね、カルテに書いてあります」

「はあ」

「ご家族は?」

「妻と息子と娘が一人ずつ」

「妻は必ず一人でしょう、日本では」

「そう……、ですね」

「娘さんは?」

「え?」

「おいくつでらっしゃる」

「16です」

「えーと、54から16引くと」

「38です」

「息子さんは?」

「18です」

「遅くに生まれた子どもさんですね。かわいいですか?」

「はあ、まあ」

「お嬢さんは、はやりのギャル?」

「いえ、どちらかといえば、おとなしいほうで」

「いいですね、バストのサイズは?」

「あのう……」

 ムダ話ばかりをつづけ、いっこうに肝心な説明をしない医者にわたしは業を煮やし、半ば憤りをふくんだ声でたずねる。

「どうなんですか、わたしの身体は」

「ああ、失敬、失敬」

 医者は社会の教師が巨大な地図を示すような棒を取り、わたしの胃の影の部分を指す。

「大きいでしょう、たぶん、胃はダメですね」

「え?」

「まあ、胃は切り取っちゃえば済むことなんですけど、これだけ大きいとほかにも転移している可能性はある」

「あのう」

「はい?」

 わたしは耳にしたくない言葉を、どうしてもたしかめたくて口にする。

「ガン、なんですか」

 それまで軽薄にしゃべりつづけていた医者は、突然黙り込んだ。

 室内に沈黙が流れる。かたわらに立つ看護婦は、表情をまったく変えずに立ちつくしている。

「わたしね、はっきりものをいう、ウソがつけない人間でしてね、それでずいぶん損を……」

「それはさっき聞きました。それで、わたしはどうなんですか。ガンなんですか。ガンなら悪性なんですか。治るんですか!」

「診察室ではお静かに願います」

 それまで一言も口を開かなかった看護婦がいった。

「正直にはっきりいいます。浜崎さん、浜崎誠さん」

「はい」

「浜崎誠、54歳、会社員。役職は?」

「課長です」

「一番つらいお立ち場ですね。上から押さえられ、下から突きあげられ」

「はあ、まあ」

「原因はストレスです」

「はい?」

「浜崎さん。告知します、あなたはガンです」

「……!」

 覚悟していたとはいえ、やはりはっきり耳にすると衝撃を受ける。しかし、こんなにあっさりと、しかも本人に直接言い放ってしまうのだから、きっと症状は軽いに違いない。

 わたしは期待を込めてたずねる。

「で、どのくらい」

「余命ですか?」

「……」

 わたしは何もいうことができなかった。

ヨメイ、ヨメイと頭の中で言葉が交差し、回転をはじめる。

「ヨメイ? なんだそれは? 余った命? じゃあ、オレは死ぬのか、ガンで死んでしまうのか?」

 わたしは頭の中で自問自答しながら、まばたきするのも忘れて医者を見つめた。

「さっきもいいましたけど、胃だけなら切り取っちゃえばOKなんです。けれど、レントゲンでちょっと見ただけで、こんなに大きな影が出ている。たぶん90%以上の確率で、あっちこっちに転移してるでしょう。わたしの予想では長くて半年、短くて2か月。て、とこだよね」

 医者は看護婦にきく。看護婦は無表情なままうなずく。

「と言うわけで、いいにくいでしょうからご家族にはこちらから説明しときます。それと、どうします、入院します? いや、あと半年なんだから、わたしは家庭療法をススメますが」

「……」

 頭の混乱したわたしは何も答えることができない。

半年、6か月、約180日、時間に直すと4320時間。

 やたらと時計の音が大きく聞こえる。エアコンの効いた部屋だというのに、汗がじんわりとにじんでくる。

「きょうはお帰り頂いて結構です。延命治療をお望みなら、明日にでも入院手続きを行ってください」

 わたしはふらりと立ちあがり、頭をさげると診察室をあとにした。あの看護婦の「それでは、お大事に」という声を背中に受け止めながら。

 

 その後、どこをどう歩いたのかおぼえていない。

 病院を出たのは午後を少しまわったころ。7月の太陽が、人の神経を逆なでするように照りきらめいていた。

「いったい、オレが何を」

 日が暮れ、夜の酒場をさまよいながら、わたしは同じ言葉を何度も、何度もくり返していた。

 就職して、結婚し、家を買い、子どもが生まれた。なかなか上を向かない景気の中で、営業マンとしてがむしゃらに働いた。要領が悪く出世はできなかったが、この歳までリストラにあわなかったのは、そのお陰かもしれない。

 家族の仲はいい。それはわたしだけがそう思っているだけかもしれないが、少なくとも、朝や夜のあいさつは交わすし、冗談をいえば笑顔が返ってくる。

娘も、いまどきの女の子らしい下着同然の衣装を身につけることはあるが、わたしに気安く声をかけてくれるし、夜10時をまわってから帰宅することはない。

 けれど、それを守るために、わたしは何事も限界までこらえ、我慢してきた。

「それなのに……」

「お客さん、看板ですよ」

 最後に入った場末の居酒屋で、無愛想なオヤジがいった。わたしは少しだけにらみつけ、1万円札1枚をおいて店を出ようとする。

「ああ、お客さん、お釣り……」

「いいんだ、とっといてくれ」

 わたしは、そうつぶやいて店を出た。

 もはや、小銭を持つことすらわずらわしい。これ以上、何かが増えたところで、わたしには処理できる時間はない。

「オレが、なにをしたっていうんだ、いったいなにを」

 何をしたというよりも、何をしてきたのかと問い返したいくらいだった。

 平凡な日常を過ごし、可もなく不可もない生活を送る。

友人の中には、ビットコインの投資で大金を手に入れ、高級外車に若い女をはべらせ、毎夜のように豪遊をくり返していたヤツがいた。いまは破産し、行方不明となっている。

そのときは、バカなヤツだと軽蔑もしたが、いまとなっては、その生き方がうらやましく思う。

 そんなことを考えながら、自動販売機で買ったカップ酒を手に、人気のない公園を歩いていた。

「キャアー」

 新月の夜。街灯の明かりが頼りなさげに辺りを照らしている。吹く風もなく、じっとりとした真夏の温気が身体にまとわりついてくる。

 わたしは、ぼんやりとした目で悲鳴のあがった方向を見た。そこは、闇に包まれた草むらの中だった。

 恐る恐る足音を忍ばせ、近づいてみる。暗さに目が慣れ、眼の焦点が合ってくると、白いものがぼんやり浮かびあがり、それにおおいかぶさる黒い影が見えた。

「あ……」

 それは、まさに一人の若い女が男にレイプされようとしている現場だった。

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