萎れるバラへの憧れ
パパさんがママさんの誕生日プレゼントにと、一輪のバラを持って帰ってきた。
白くて程よく花弁が開いた、綺麗なバラ。葉も優しい緑色で癒される。
ママさんは喜んで器に水を注いで、バラをそっと挿した。今もリビングの机の上にバラは飾られている。
けれど花は生き物だ。時間が経つにつれ、花弁には茶色の部分が増えて、葉もくったりとしてきた。バラは萎れてきてしまったのだ。パパさんとママさんはそれ以上バラの老いが進行しないように、新聞紙で器を包んだり、色々奮闘していた。二人は、バラが萎れることを悲しんでいた。
ぽふぇは萎れるバラが少し羨ましいと思う。だって萎れるということは、それだけ生きた時間を重ねた証だと思うから。変化する姿に、生の証明に憧れの眼差しを向けてしまう。ぽふぇはぬいぐるみだ。くたびれたり、ほつれたり、黄ばんだりすることはあるかもしれないけれど、ずっとぬいぐるみという形ではあり続ける。命を宿したとはいえ。
変化という事象に対しては、未知を起源とする恐怖を正直なところ抱いている。
けれど生まれながらに持ち合わせている生というのは、バラはもちろん、ご主人達が軌跡を辿るものだから、ぽふぇはやっぱり魅力的に感じる。
でも、少しだけ、寂しいなあ。