アンニュイな夕暮れのひととき

夕方にかけて、街は暮れかかった雰囲気に包まれている。

昨日とは一変して暖かい1日だった。でも、日差しは寒々していた。

ゆっくりと歩く。と書いた。
なのでそのまま、ゆっくり、ゆっくりと歩く。
足早に通り過ぎていく人たちは、堂々とゆっくり歩くのとは別の風格を持っている。
確たるポリシーを持っているかのような歩の刻み方をしている。
なので私もまた確たるポリシーを持っていると思われている可能性がある。と、類推しながら、街中を歩く速度はゆっくりしたまま夕方にかけてとっぷりと陽は暮れていくのだった。

知り合いの女性が良い転機を迎えたと書いていた。
11月1日は記念日になるらしい、一般社団法人を立ち上げたと書いてあったのだ。

街中を歩いていると誰かしら知り合いを見ることがあるのだが、昨日は定禅寺通り沿いを歩いていて、知り合いとも言えないほど薄い知り合いに出会った。相手はこちらに気づいている様子もなく、無言のまま通り過ぎたが、何かと問題のあった人なので今は大丈夫だろうかと気になった。

その社団法人を立ち上げた女性とも、仙台駅の東口で出会ったことがある。
ある種の人格類型論を一緒に学んでいた仲間だった。その類型論を通して人を見つめると、次第にわからなくなることがある。それはその人の個人的人生のエピソードだ。一緒くたにしてしまうというか、面白いのだけれど、難しい側面もあるなと思っていた。

最近、深呼吸を大切にしている。
丹田と呼ばれる体の部位に意識を集中しながら深呼吸をしていると、次第に気分は晴れやかに、そして、とてもいい雰囲気の発想が得られる。

日々いろんなことは起こるが、総じて自分のここまでの人生は最高だったと思っている。

人生のそれぞれの時期の体験というパーツというパーツは、色とりどりのガラスの粉のように、その時期その時期を煌びやかに彩ってくれていた。

体験ができた。ということがこれほど宝物になるとは、その時には思いもしなかった。その一つ一つの雰囲気が私を幸せに誘ってくれる。

勿論、陰鬱になるようなこともあったが、それもくれかかる今の時期のこの時間のように、私をアンニュイな雰囲気に誘ってくれる。まるで、アーシーなコーヒーを飲んだ時の「鐘の音」でも響いているかのような味わいの雰囲気を感じている時のように、特別な時間になる。

今日も、そんな夕焼けが空を占めている。
1日が終わり、夜が来る。そして一抹の未練を残したまま、また明日へと繋がっていく。


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