『労働騎士団』についての雑考① 『労働騎士団』とは何か
昔々、1世紀以上は昔のお話です。
『労働騎士団』
という組織がありました。
英語で “Knights of Labor" 。
すなわち、19世紀後半のアメリカ合衆国に存在した労働組合のことです。
以前、その汗臭さと高貴さとが奇妙に融合したネーミングに惹かれ、調べた時期がありました。
その当時のメモを見返しつつ、アレコレ書き留めてみたいと思います。
ちょっと長いので、何回かに分割する予定です。
誰かの目に触れ、知識欲を少しでも満たすことができれば、もっけの幸いです。
※筆者はあくまでもアマチュアです。なので、記述の正確性・確実性は担保できません。参考程度にご覧ください。
1.『労働騎士団』とは
そもそもの話として。
「労働組合」と聞いて、どんなイメージを抱かれるでしょうか?
労組、あるいはユニオン。
ストライキ。
メーデー。
賃上げ。
春闘。
連合(日本労働組合総連合会)。
立憲民主党や国民民主党。
あるいは、社会民主党や日本共産党。
左翼、左派。
社会主義、共産主義。
マルクス・レーニン主義。
旧東側諸国。
旧ソ連、共産党中国、キューバやベトナム。
などなど……。
連想ゲームを始めたらキリがありませんが、ごく一部でもこんな感じでしょうか?
そんな労働組合と、現代資本主義の中心地たるアメリカ合衆国(以下、米国)の組み合わせ。
しっくりこない、と思われる向きもあるでしょう。
一方で、多少ご存じの方は、
「米国は意外と労働運動が盛んだぞ! AFL-CIO(アメリカ労働総同盟・産業別会議)という有名な労働組合もあるじゃないか!」
とおっしゃるかもしれません。
最近でもコロナ禍により、大手IT企業で労働組合結成の動きがある、なんて話を聞くくらいです。
さて、そんな米国において、AFL-CIO(正確にはAFL)に先んじて存在した労働組合こそ、この記事で取り上げる『労働騎士団』(以下、騎士団)です。
騎士団は1869年、ペンシルベニア州フィラデルフィアにおいて結成されました。
やがて米国史上初めての全国的労働組合(注1)となる騎士団は、当地の仕立て工の連帯に起源をもちます。彼らを率いた初代団長は、ユライア・スティーブンズなる人物です。
(注1:実は騎士団に先行して、そのまんまな名称で「全国労働組合(National Labor Union)」という労働組合が存在していますが、ここでは省略します。)
ところで、なぜ労働組合なのに「騎士団」なのか。
これは、騎士団が儀式主義・秘密主義を重んじる秘密結社の形態をとったことに端を発すると考えられます。
当時の米国に、労働者の権利を保護する法律はありませんでした。
別に米国が遅れていたわけではなくて、これが当時の世界標準です。
他の国の例を見ると、イギリスでの労働組合合法化が1871年、フランスでは同じく1884年です。
米国の場合、1935年のワグナー法成立まで待たなければなりません。
ですので当然のことながら、騎士団は結成当初から、非合法組織(少なくとも、法的庇護の対象とならない団体)であったわけです。
非合法組織は弾圧される宿命にあります。
騎士団の場合、敵は政府と資本家です。
政府にとって彼らは秩序を乱しかねない犯罪者予備軍であり、資本家にとっては自身の利益を損なう危険な抵抗者でしかありません。
ゆえに騎士団に所属する者は、敵対者の脅威から逃れるために「自らの立場を隠す」必要に迫られました。
秘密結社と聞けば現代ではオカルトチックな響きに思われますが、騎士団の初期メンバー達にとって、この組織形態は理にかなったものだったようです。
(※以下は筆者の想像です※)
まず、儀式主義。
神秘主義的な儀式手順を習得・経験し、同志にしか通じない符丁を交わし合う。これらの秘密を共有することはメンバー同士の連帯感を醸成し、裏切り者・内通者が出るのを防止する意味があったことでしょう。
次に、秘密主義。
文字通り、組織に関する秘密を守ること。誰か一人がメンバーだと露見したとしても、他のメンバーにダメージが波及することを防ぎ、組織全体としての持続性を担保する意味があったのだと考えられます。
(※想像、ここまで※)
しかし、こんな秘密結社なんて前近代的手法では、組織の規模拡大など夢のまた夢なのは言うまでもないこと。
そこで騎士団の組織改革に乗り出したのが、第2代団長テレンス・パウダリー(Terence V. Powderly)でした。彼こそが、騎士団盛衰の過程に関わり続けた本記事の主人公ともいえる人物です。
パウダリーは組織の名称はそのままに1881年、騎士団の組織公開を断行しました。
そして、後述する「一般組合」という騎士団の特徴(注2)を活かして、19世紀後半の米国における最大規模の労働組合(最盛期の1886年には団員70万人以上!)にまで発展させていくことになるのです。
(注2:ただし、この「一般組合」という形態は、同時代の欧米の労働組合に多く見られるものといわれています。)
2.騎士団が要求するもの
彼ら騎士団を突き動かす理念、あるいはイデオロギーとは何か。
……と行きたいところですが、それだけで1本の記事になってしまいそうなので、次回以降に回します。
ここでは、彼らが具体的に何を政府・資本家に要求したのか、という点に触れることにしましょう。
以下、主なものを列挙すると……
1日8時間労働制
児童労働の禁止
累進課税制度
男女同一賃金
通貨・銀行改革
電信・電話・鉄道の公有化 など
現代日本人の目から見ると、「なんか普通じゃない?」という感想を持たれるかもしれません。特に、前半部分は。
逆に言うと、当時の米国社会において、これらの事柄は全然普通ではなかったということなのです。
1日10時間以上の労働は当たり前、子どもだろうが生きるために労働に励まなければならず、税制は富める者をますます肥やすばかり。ついでに、女性は賃金面で大幅な不利を受ける立場。
もちろん、この頃は労働安全衛生なんて概念はほぼ存在しません。
仕事によるケガや病気など自己責任、まかり間違えば命を落とす可能性すらある過酷な労働の日々です。
19世紀当時のブラックな現実が見えてくるようですね。
ちなみに、カール・マルクスの「共産党宣言」が1848年、「資本論」初版発行が1867年とのことです。
同時代の西欧諸国における労働者も似たような境遇にあったわけですから、上記のような産業社会の実情を踏まえると、マルクスが革命の理論構築に情熱を傾けた理由もわかる気がします。
さて、マルクスも出てきましたので、ここでポイントがひとつ。
騎士団の究極的な目標とは何だったのか? という点です。
騎士団の結成は1869年、公開組織化が1881年ですから、いうなれば「マルクス以後」の労働組合なわけです。
となれば当然、騎士団が最終的に目指すのは、プロレタリア革命による社会主義・共産主義体制の実現……
というわけではありませんでした。
もちろん、団員の中には社会主義者もいました。
アナキスト(無政府主義者)もいました。
もっといえば、AFLの初代指導者サミュエル・ゴンパーズもいました。
しかしながら、騎士団が目指すものは、もっと別にあったのです。
それを理解するためのキーワードが、「賃金奴隷制」。
この「賃金奴隷制」こそが、騎士団が最も忌み嫌い、米国社会から一掃しようと試みた社会悪でした。
……といったところで、これも長くなるので次回以降に回させてください。
何度もごめんなさい。
3.「一般組合」なるものについて
本節では、第1節で出た「一般組合」という概念について触れます。
これは、騎士団の特徴的な組織形態のことです。
現代の労働組合を考えるとき、その組織形態と言えば「企業別組合」あるいは「産業別組合」が主流になるのではないかと思われます。
他にも、職種別とか地域別とかあるようですが、あまり詳しく知りません。
また、本題にも関係しないので省略します。
本邦においては、企業単位で労働者を組織する「企業別組合」が圧倒的多数派です。
賃金含む労働条件に関する交渉は企業ごとに行われ、その交渉成果は当該企業の労働者のみが享受します。
また、これら企業別の組合が産業別に結束し(単産。例として、自治労や自動車総連など)、さらに産業別の連合体が寄り集まって連合などの全国的労働組織を形成して、広範な労働問題に取り組んでいます。
一方、現代の欧米諸国では、「産業別組合」が大勢を占めます。
文字通り、企業の枠を超え、同一産業に従事する労働者ごとに組織される労働組合です。
使用者との交渉成果は、そのまま産業全体の最低水準として適用されます。
米国の場合、AFL-CIOがその全国的組織です。
それでは、「一般組合」とは何か?
端的に言ってしまえば、「働いている人なら、誰でもウェルカム!」な労働組合です。
現代日本で近いものを探すなら、企業別組合がない企業の労働者、パート・アルバイトなどの非正規労働者のための組合・ユニオンがそれにあたるでしょうか。これらの組織は度々ニュースで取り上げられるなど、企業別組合が根強い本邦において、近年存在感を増してきているようです。
さて、騎士団に話を戻しましょう。
当時において彼らは、職種・熟練・性別・人種などの違いを組合加入の条件として問わない、まさにボーダーフリーな一般組合でした。
それゆえに、不熟練労働者・女性・黒人・ヨーロッパからの新移民といった多様な属性の労働者を包摂し、短期間での急拡大に成功したのです。
そして、それは同時に、騎士団の急速な衰退の一因ともなりました。
4.騎士団の衰亡と、痕跡としての「労働者の日」
今日、騎士団はすっかり忘れ去られた存在です。
その座をAFL-CIOに明け渡し、自らは跡形もなく消滅したのだから当然でしょう。
転落は、騎士団が絶頂を迎えた1886年に始まります。
その年の5月1日、一件のストライキ・デモが実施されました。
内容は、1日8時間労働制の要求。
このストライキは日付が変わっても続きました。
そして、ストライキ3日目。5月3日。事件が起こります。
シュプレヒコールを上げるスト隊に、いかなる経緯か警官が発砲。
これにより、ストライキに参加していた労働者数名が死亡したのです。
当然、他の労働者たちは、警官の横暴に怒りを覚えたことでしょう。
翌日、5月4日。
前日の発砲事件を受け、シカゴ市内のヘイマーケット広場にて抗議集会が開かれました。
この集会に対して、警官隊は解散を命令。
しかし、その時。警官隊に向かって何者かが爆弾を投げつけたのです!
これをきっかけに、広場では銃撃戦が繰り広げられ、労働者・警官の双方に多数の死傷者を出す大惨事となりました。
事件後、運動の指導者だった8名のアナキストが容疑者として逮捕され、裁判にかけられました。
問題はその裁判の内容です。
事件の発端となった爆弾を投げた人物が誰であるか、結局最後まで特定されることはありませんでした。
容疑者たちと爆弾の関係も、なにひとつ明白に立証されなかったのです。
にもかかわらず、判決は全員有罪。うち5名には絞首刑が宣告されました。
※この裁判から数年後、彼ら全員の冤罪が認められましたが、絞首刑は執行された後でした……。
以上が、世にいう「ヘイマーケット事件」の顛末です。
しかし、話はここで終わりません。
この事件に対して騎士団が示した態度こそが、真に問題でした。
なぜならば、騎士団指導部はこの不当な判決に対し、積極的に異議申し立てをしようとはしなかったのです。
その原因は、容疑者が皆アナキストであったため。当時の騎士団指導部は、アナキズムに抵抗感を持っていたのです。
ですが、騎士団は何者であれ受け入れてきたことによって発展してきた労働組合です。このような明白なダブルスタンダードは、組織の在り方に大きな混乱をもたらしました。
また、それでなくとも当時の騎士団は、肥大化しすぎた状態でした。熾烈な労使間闘争を戦い抜くためには、あまりに内部的なまとまりに欠ける、脆弱な組織だったのです。
結局のところ、騎士団は失敗したというほかありません。
政府・資本家からの激烈な攻撃と、組合内部で生じた深刻な路線対立・内紛が、騎士団の運命を決めました。
熟練労働者をまとめ上げ、内部組織として発足したAFLは、強力な指導者であるゴンパーズに率いられて騎士団から独立していきました。
社会主義者やアナキスト達も、煮え切らない騎士団指導部に愛想をつかして離れていきました。
騎士団発展の立役者であった団長パウダリーもまた、組合内外の問題に対応しきれず、1893年にその地位を追われることとなったのです。
以後、騎士団の勢力は急速に衰微し、20世紀の到来を待たずその歴史的役割を終えることとなります。
騎士団の誕生から衰退・消滅まで、簡単な経緯は以上の通りです。
ただ、彼らの時代の痕跡が現代に全く残っていないとは言いません。
「ヘイマーケット事件」という単語で気づかれた方もいらっしゃることでしょう。
そうでなくとも、そのきっかけとなったストライキが5月1日に始まったといえば、ハッとされる方は多いはずです。
5月1日。すなわち、メーデー。
ただ正確に言うと、仕掛け人はAFL初代代表サミュエル・ゴンパーズです。
彼の呼びかけによって、5月1日は「労働者の日」として国際的に定着し、今日まで至っています。
なので、ぶっちゃけた話、騎士団あんまり関係ないです。
むしろ、騎士団最大の黒歴史です。
彼らの時代の痕跡、と書いたのはそういうことです。勘弁してください。
ちなみに、メーデー発祥国となる米国ですが、本家本元では祝日扱いされていません。
その代わりにレイバー・デー(労働者の日)が制定されています。
毎年9月の第1月曜日とのこと。
5月1日にすると、どうしても「ヘイマーケット事件」の悲劇と結びついてしまうので、それを嫌ったようです。
米国にとっても、未だトラウマなのでしょう。
5.次回予告
主人公と言っておきながら、今回ほとんど出番のなかった騎士団の第2代団長 テレンス・パウダリーの人物像について触れようかなと思います。
前述の通り、騎士団の栄枯盛衰はこの人を抜きにしては語れませんので。
ある意味で、労働運動の指導者らしからぬ人物です。
騎士団という組織の思想的特徴を体現しているとも言えましょうか。
ですので、第2節で散々もったいぶった騎士団のイデオロギーについて取り上げるのは、次々回以降となります。
どうかお許しください。
※冒頭でも触れましたが、筆者はアマチュアです。それが免罪符になるわけではありませんが、知識不足・認識間違いなど多々あろうかと思います。お気づきの点があれば、ご指摘いただけると助かります。
『カニンガムの法則』ということで、是非。
また、基本的に思想信条に関する指摘は御免こうむります。一度始めるとキリがありませんので、ヒラにご容赦。
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