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もしも貴方と話せたら【随想】

 夏と秋の境界。アブラゼミの喧騒も室外機に成り代わった。燥ぎ疲れた光がのろのろ彷徨くベランダを窓ガラス越しに、私は困っていた。

 棹に干したタオルの一枚にカメムシが止まっている。しかもだ。よりによって、枯葉様の、でかい方のやつだ。あのツルッとした、冗談みたいな緑色をしたのだったらまだよかったのに、などと、こういうときは変に他人事で取り繕ってしまう。虫、というだけで、もっとも私はだいたい苦手だが、これは何となく不平等でいけない。もっと私は虫が苦手でなくてもいいのに、と思った。

 結局私は諦めた。フローリングに座布団もなく、窓ガラス越しにカメムシの触覚を揺れているのを見る。窓ガラスがあるなら、まあ、問題ない。虫籠であれば近づき難いが、テレビならいい。外で見かけた時もそれなりに嫌気がするが、家の中で出会したほどのことはない。

 つまり? つまり、私の頭の中の爬虫類は彼らの馴れ馴れしさを許さないのだ。私はちょっと不平等だと思った。耳の側を飛ぶ蚊や小蠅に対して、私は壁のような大きさの手で払い除ける以外のコミュニケーションの術を持たない。どうして? どうしても何も。もし蜘蛛やゲジゲジと話が出来たなら、彼らの不調法、貼付された敵性を、或いは謂れのないそれを貼付した私の不精、吝嗇、そして、その構造を疑いもしない私の不気味さをめちゃくちゃに攪拌することが出来たろうか。

 いっそ網戸だったらよかった。思い出すのは小学校の教室、図画工作の授業中に捏ねた紙粘土のことだ。気がつけばカメムシの姿は見えない。私は慎重にタオルの裏を覗き込み、彼が飛び去ったのを確かめて、少し焼けた洗濯物を取り込んだ。


 私はある特定の「におい」がどうにも苦手らしく、その「におい」のする人からはそれと分かる程度に離れて話す。しかし、ーー「におい」は、発するその人自身の感受性を拐かしでもするのだろうかーーそういう人に限って、取り分け、婉曲させた表現なら通じず、身振り手振りをしても意図が伝わらず。さも然るべし、というふうにのこのこと寄ってきては、私は距離を取り、寄ってきては、私は距離を取りで、一時などはそのまま一駅ほども移動してしまった。

 私は時たまそのことを思い返す。あれは本当に現実の出来事だったのだろうか? 記憶は未来ほどに当てにならない。私は慎重に思い出す。繁華街の並木道。募金箱を抱えた青年たち。その脇から現れ、バインダーを小脇に話しかけてきたあの太った男の顔。その顔は、カメムシに似ていなかったかどうかを…

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