滝子囃谷 

滝子囃谷 

最近の記事

大海嘯Ⅰ【日記】

 仮に一人なら一だが、二人なら三、三人なら七、四人なら十五になり、四十人では一兆九百九十五億一千百六十二万七千七百七十五であって、百五十人の時点で十四載二千七百二十四正七千六百九十二澗七千五十九溝六千穣だ。  私はいつも首のないリヴァイアサンを思い浮かべる。繁華街の交差点、行き交う人々の銘々には中立進化のような人生が隠匿されている、という妄想は私に特有の無力感を覆い掛ける。突然私は深い夜の鏡湖池のほとりに立っていて、考えることは考える端からその夜のような闇に融けて沈んでゆく

    • 清算【掌編小説】

       干したレモンを噛みながら、保津はある命題について考えていた。重度に熟して殆ど腐りかけのメロンのような、化学物質様相の匂いが鼻に抜けるのを慎重に感じながら、彼の悩みはいよいよ立ち上って彼の人格の表層を占めた。  新聞を読みながら彼は悩んだ。  コーヒーを飲みながら彼は悩んだ。  取るに足らない書類のコピーを取りながら彼は悩んだ。  猫の髭を見つめながら彼は悩んだ。  窓の外を見つめながら彼は悩んだ。  配達された段ボール箱の滑らかなセロハンテープをカッターナイフで裂きながら

      • 書店にて【随想】

         今でも私は時々クラッと来ることがある。  砂糖菓子を煎じ詰めたように整然とした書棚の配置パターンが平衡感覚を鈍麻させてしまったのだろうか? それも少なくとも。私に住まう吝嗇家が買掛帳簿の知識を引いて、今日の懐事情と本とを照合処理するうちに熱中症を起こしたのだろうか? それも少なからず。  書棚に犇く背表紙はどれも旨そうな匂いを隠そうともしない。私は圧倒されて、ほとんど捨て鉢になりかけていた。本がオブジェになる。無理だ。これは。とても網羅できない。  フッサールもデカルトも

        • プロトポロスに没す【日記】

           ※本文は迫稔雄『嘘喰い』のネタバレを含みます。  私は蝉について、いや、蝉はダメだ。カバディにしよう。  レイダーでないアンティがとても戦い得ない人数だけ残った場合、宣言でローナする戦略について貴方は、これは競技性に過ぎると思うだろうか。貴方はどう考えるか。  どうも何も。考えたこともない? 結構。さて、貴方は非難されるべきだろうか。どうして? 大変結構。  では、なぜ貴方は非難されないのだろうか。カバディについて貴方が考えたこともないことは、どうして解散総選挙について

          ボルコイは風呂釜に嵌った【掌編小説】

           ボルコイは風呂釜に嵌った。  ボルコイは風呂釜に嵌って、一向に身動きができなかったので、腕を振り回して身を捩った。しかしボルコイのお尻は風呂釜に嵌ってゆくばかり。  ボルコイは腕を振り回して、水面をチャパチャパ叩いた。しかしボルコイのお尻は風呂釜に嵌ってゆくばかり。  ボルコイは腕を振り回して、おうい、おういと叫び散らした。しかしボルコイのお尻は風呂釜に嵌ってゆくばかり。  ボルコイはしばらくそうしていて、あるとき、ふと、まあ、それならそれで構わないか、と思った。  ボル

          ボルコイは風呂釜に嵌った【掌編小説】

          もしも貴方と話せたら【随想】

           夏と秋の境界。アブラゼミの喧騒も室外機に成り代わった。燥ぎ疲れた光がのろのろ彷徨くベランダを窓ガラス越しに、私は困っていた。  棹に干したタオルの一枚にカメムシが止まっている。しかもだ。よりによって、枯葉様の、でかい方のやつだ。あのツルッとした、冗談みたいな緑色をしたのだったらまだよかったのに、などと、こういうときは変に他人事で取り繕ってしまう。虫、というだけで、もっとも私はだいたい苦手だが、これは何となく不平等でいけない。もっと私は虫が苦手でなくてもいいのに、と思った。

          もしも貴方と話せたら【随想】

          史実があった【日記】

           貴方は、どうだろう、催眠術とか。信じる方だろうか。  貴方が信じようが信じまいが催眠術は存在し、催眠術が存在しようが存在しまいが、私たちは催眠術を信じたり信じなかったりする。その交差のために、つまり、催眠術などまやかしだと信じている人に催眠術を信じてもらうために、ないし催眠術が当たり前の日常に溶け込んでいる人に催眠術を疑ってもらうために、必要なものはなんだろう?  海賊が来たぞ、と聞いて貴方は初め信じないかもしれない。なるべくなら古式ゆかしい海賊がいい。そんな形した荒くれ

          史実があった【日記】

          第四会議室【掌編小説】

           第四会議室には何人かが寄り集まって、何やら話をしていた。 ストレヴェチ「私の考えでは…」  ポン! ストレヴェチは消えてしまった。一同は顔を見合わせた。 マリフ「私の考えではないが、スセフによれば…」  ポン! マリフは消えてしまった。一同は顔を見合わせた。 ビシュトー「私の考えではないし、スセフによるものでもないが、神によれば…」  ポン! ビシュトーは消えてしまった。一同は顔を見合わせた。 メルマル「私の考えではないし、スセフによるものでもないし、神による

          第四会議室【掌編小説】

          彼女は不思議な器具を持っていた【日記】

           真言宗の十善戒の中に不両舌というのがあって、どうやら二枚舌の由来らしい。朝令暮改、ダブルスタンダード、でまかせ、でたらめ。言葉がコロコロ変わることを揶揄う言葉は数多い。  「正しい言葉遣い」も記憶に新しい。チグリス川の流れに棹さした覚えのない人間は学習なくして揶揄を免れない。また、言葉は積み上がる。若者言葉やインターネットミームなら学習するまでなしという姿勢もまた草極まりない。  私は、何だか言葉は可哀想だと思った。言葉の根っこに意思があって、意思の根っこに意識があって、

          彼女は不思議な器具を持っていた【日記】

          エーゾノルトには嬉しいことがあった(掌編小説)

           ある日の朝のこと。  エーゾノルトには嬉しいことがあって、エーゾノルトはもう目が覚めた瞬間からずっと待ちわびていた。とはいえエーゾノルトだってばかじゃない。エーゾノルトは実のところ、それがそれほど大したことではないことなど、とっくのとうにわかっていた。しかしエーゾノルトにはやっぱり嬉しいことがあって、洗い上がってぴかぴかの食器を布巾で拭くことひとつ取ったって、なんだかそわそわして進んでやった。エーゾノルトの待ちわびぶりと言ったら、拭き上がった食器を食器棚にだってしまってしま

          エーゾノルトには嬉しいことがあった(掌編小説)

          牛を偲んで

           ことによると、相対性理論は副産物かもしれない。  先日、鈴木祐さんの『YOUR TIME』を読んだ。やはりヒトの脳は"ほどほどの解"を"反射的に"得ることが本分であるようだ。これはダン・アリエリー氏が"予想どおりに不合理"と称したことにも、橘玲氏が"無意識の知能"として書いたものにも共通するところがある。  乏しい私の"認知の耐性"のためつい避けてきたことがあったのだが、動物行動学である。「生き残ったもの勝ち」の身と蓋を果たして私が見出せるかどうかに関係なく、ヒトの脳は

          窓の外からは(掌編小説)

           事務室の窓の外からは事務室の壁が見える。デンティコは鼻から長いため息をついて、木の天板の棚の側に立ったまま、棚の天板の木目を眺めたり、凭れかかったり、棚の側で立ち尽くしたりしていた。  三十分が経ってもデンティコはまだ木の天板の棚の側に立っていた。ときおり、事務室の中を行ったり来たりして、捺印された書類を右手の指で持ち上げたり、椅子の肘掛けを布巾で拭いたりしていた。とはいえ、デンティコはあまりにため息をつくので、それは棚の上の小さな観葉植物が白くなって、枯れてしまうほどだっ

          窓の外からは(掌編小説)

          さらばステキな週末を

           「ああ、今日はせっかくの休日なのに、何も有意義なことができなかったな。」  パンダが一日の六割方を単子葉類を齧って過ごしているのは、彼らの消化器官とセルロースの間におけるギリギリの相性のためであって、モグラが一日中ちょこちょこ忙しなく動き回っているのは、三〜四時間ばかり食わないと餓死するからであって、コアラが一日の八割方を木に掴まってボンヤリ過ごしているのは、毒性のユーカリを代謝するのに百時間かかるからであって、ナマケモノが八瓦の葉っぱを食べたっきり木の枝にぶら下がってボ

          さらばステキな週末を

          時給一万円

           私たちが未来について宛てがえる時間の物差しの長さは30秒である、というようなことを以前書いたが、それは20秒だったかもしれない。  ショーン・エイカーの『幸福優位7つの法則』を読んでいない。しかし、ジャスティン・グレッグの『もしニーチェがイッカクだったなら?』は読んだ。怒りが過ぎ去るまでにかかる時間は10分とも15分とも言われるが、意識の未だ来ぬ旅へ置いてけぼりを食った無意識の"瞬間的な意思決定"が扱う"目先"の射程は如何ほどだろう。20秒は優に有るというようであれば、先

          なぜなら貴方もまた魚雷だから

           何方で伺った何方の話だったか毎度ボンヤリしたまま書いて誠に恐縮だが、漫才というのは異世界への小旅行であるという。  能や狂言にしても同様だ。拍子木の音はタイムマシンのエンジン音であり、「こりゃまた失礼しました」とばかりに幕が降りきれば、私たちは元の日常へ送還される。  不可触で完結しており、しかも尊いという幟はある種の結界を構成する。拍手や歓声は「あちら側」の筋書きを改変しようとしない。「君たちはどう生きるか?」という哲学も往々に芸術に成り下がる。出し抜けにインターホンが

          なぜなら貴方もまた魚雷だから

          ガルリロ

           有り体に申しあげれば私は裕福な家庭の育ちで、そのためだろう、私は自転車に乗れない子供であった。  ペダルを踏み、漕ぎ出す。幾許もなくよろける。なかなか友人たちのようにはスイスイ行かれないものだ。漕ぎ出す。よろける。また漕ぎ出す。ああ、これは無理かもしれん、と思いついたとき、私はある種の安らぎと喜びを感じた。  よろけて止まる。それは、母の実家のそばの小さな紡績工場の駐車場のアスファルトの上にもうこれ以上ガリガリと不快な補助輪の音を撒き散らさなくてもいい、といった類のもので