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おばあちゃんのために覚えた昭和歌謡・・・が

 私は、歌を歌うことが小さいときから大っ嫌いだった。
 理由は、とってもオンチだったからだ😭

 たまに家族と一緒にカラオケに行くと、79点とか、80点もいかず、父や母が高得点をとっているのを見ると、なんか恥ずかしかった。

 でもね、オンチだった理由がある。それは、家の中に音楽がなかったからだ。
 私が子どものときは、スマホもなかったし、家が厳しくてテレビも見れないし、CDとかもなかったし、そもそも歌を覚える機会がない(父や母が歌が上手いっていうのは、自分たちは子どもの頃テレビの歌番組を見て歌を覚えていたから、でも子どもには見せないなんて、ズルいよね)。

 だから別に本当にオンチなわけじゃなくて、学校で合唱の練習をすると、それなりに上手く歌えた。

 中学校の時、同じ班のタカヤが、合唱の練習の後に、私にこう言ってきた。

 「〇〇(私)って意外と歌が上手いのな」

 「え、そうかな」と私が言うと、タカヤは、「〇〇の歌、もっと聞きたいな、何か歌ってみてよ」と言ってきた。

 それで、下駄箱掃除の時にタカヤの前で歌を歌うことにした(※ホントはダメだよ)

 「〜🎵」

 私が歌うと、タカヤは言ってきた。

 「上手いけど、それって合唱の曲じゃん、最近の歌とかないの?」

 私は、最近の歌なんて知らないと言った。すると、タカヤは「じゃあ、覚えてきてよ、俺はポケモンと仮面ライダーが好きだから、とりあえずそれの歌、覚えてきて」、と言ってきた。

 私はすごい無茶ぶりだなと思ったけど、自分が不得意だと思ってたことで求められるのが嬉しくて、歌を覚えることにした。

 私は、夜中にこっそり起きて、父のパソコンでYouTubeを開き、ポケモンや仮面ライダーの主題歌になっている曲のPVを何度も聞いて覚えた。

 翌朝、覚えてきた歌を披露すると、タカヤは、「〇〇、すごいじゃん、1日で覚えてきた上にすごい上手いよ」 と言ってくれた。

 タカヤからはそれから次々にいろんなアニメや特撮の曲を覚えるように言われて、そのたびに私はそれを覚えて披露した。その度にタカヤは「〇〇の歌は歌手みたいだね」とほめてくれた。下駄箱の掃除の時間は、私のライブの時間となった。

 それから、私は歌を歌うのが好きになった。


 高校生になると、反抗期がきて、家出しておばあちゃんの家に住むようになった。
 家も厳しくなくなったので友達とたまにカラオケに行く習慣ができ、カラオケに行く前には、歌の練習をしていた。

 私が歌を歌っていると、おばあちゃんが来てこう言った。

 「〇〇は、歌が上手いねぇ。でも、最近の曲はわからないから、昔の歌を歌って欲しいなぁ」

 私は、おばあちゃんのために昔の歌謡曲を覚えることにした。覚えた曲は「リンゴの唄」とか「青い山脈」とかだった。

 私が覚えてきた歌を歌うと、おばあちゃんは、「いいね、いいね」と言ってくれて、「いつか、一緒にカラオケとやらに行きたいね」ということも言った。

 しかし、結局、何でかわからないけど、おばあちゃんと一緒にカラオケに行くことはなかった。

 
 時がたち、私は学校の先生になろうと思って、教員免許を取ることにした。
 教員免許を取るには、「介護等体験」というのがあって、特別支援学校と特別養護老人ホームに計7日間行かなければならない。

 私は、特別支援学校に行き、次に老人ホームに行くことになった。

 実習3日目、お年寄りの方々と一緒に歌を歌うことになった。
 歌うのは昭和の歌謡曲で、一緒に実習に来ていた女の子が伴奏でピアノを弾くことになった。

 でも、女の子は、そこまでピアノが上手いわけじゃなかったらしくて、初めて弾く曲につっかえてしまい、合唱はうまくいかずに、ヘンな空気になってしまった。

 私は女の子を助けなきゃ、と思ったけど、そもそもピアノが弾けないからどうにもできない。困りながらふと、もう一度歌詞表を見ると、パッと思い出した。

 「あれっ?これって青い山脈じゃん」

 私はとっさに、次に歌う歌詞の前にコーラスを入れてリードした。女の子の演奏もつながり始め、合唱は上手くいくようになり、雰囲気が良くなり始めた。

 すると、すみに座っていた元気がなさそうにずっと座っていたおばあさんが明るい顔になって、合唱終わりにすくっと立ちあがった。

 「今日はなんて愉快な日だ」

 私はとても心が明るくなった。おばあちゃんのために覚えた古い曲がこんなところで役に立つとは想像していなかった。


 この実習の後、おばあちゃんは突然倒れた。脳梗塞だった。おばあちゃんは今は特別養護老人ホームでお世話になっている。あんまり会うこともないし、会ってもあんまりしゃべれないみたいで、私の名前も忘れてしまったみたいだ。

 おばあちゃんとカラオケで青い山脈、歌いたかったな。


・・・でしめると暗くてだめか。まぁ、でもばあちゃんが戻ってこないことは絶対的な事実で変えられないんだけど。

 まとめとしては、あたり前なんですけど、まず、人間には、目には見えなかったり、すぐには気付かない可能性があるってことなんです!!

 私は、それを無限の可能性とは言わない。
 
 だって世の中には、絶対、限界というものがあるから。どんなに好きなことや情熱があっても、一定のレベルというものがあって、そこに達しなければ評価されないし、食べていくこともできないから続けられない。

 でも、はじめから自分の可能性について1度も想像しないことがだめだと思う。自分の何かの可能性について発掘することができれば、それがどんな形、プロと言えないレベルでも、生きがいになる、誰かのためになる、それが大事だと思う。

 あともう一つ言いたいことは、人生に無駄なことなんてないってことなんです!!

 ふとした運命的な直観にしたがって、目の前のことを頑張ればいつかそれが役に立つことがある。時にはむちゃぶりに答えることも大事。

 でもじゃあ何を基準にするかってことだよね。計画を立てないで、ふとした勢いで飛び込めば、ケガするときもある。誰かに搾取されているだけかもしれない。

 最終的に運だからどうしようもないけれど、私が直観や道徳の基準としていることが1つだけある。それは、

 「悪気があるか、ないか」ってこと。

 嫌だなって気持ちや、誰かを傷つけようと思った気持ちを持ってした行動は、最後には絶対失敗すると思う。一方、いいなって気持ちや、誰かを助けようと思った気持ちを持ってした行動は、最後には絶対上手くいくと思う。

 実は、今、私は就職が決まらなくてすごく焦っている。自分は弱い人間で、不安で不安でしようがない。
 だからこそ、今回1度自分の過去や考えていることを振り返り、自分に言い聞かせることで自分の未来を変えていきたいと思ってこの文章を書きました。

 あと、自分の未来だけじゃなくて、このエッセイ?を読んで、1人でも多くの人が元気になってくれればいいな🥰


 


 



 

#想像していなかった未来

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