「わかる」ことは「かわる」こと
「学ぶ」とか「習う」ということは自分が「変わる」ということ。
「変わること」で学んだことや習ったことを初めて理解する。
自分が変わらなければ何の意味もない。
変わらないけれど頭に入っているものを、ただの「知識」という。
生徒に授業をするときは、「授業を通して彼らの人生をどのように変えられるか」を念頭において講義をすること。
「わかる」ということは「わ」と「か」を入れ替えて「かわる」ということ。
短大でひとつの講義を担当させていただいているのだが、その講義の時など話をするときは、彼らに何らかのお土産(気づきや行動変容のきっかけ)を持って帰ってもらいたいな、と常々思っている。
私の場合は彼らがイメージ、共感しやすいように、自身の経験談、失敗談や残念な過去の話しをよくしているが、失敗談というのは、「失敗からどういう気付きを得て、どう変わったのか」という、失敗のその後の受け止め方や行動が大事だということに気づかされた。
そこまで含めてはじめて、「わかる」ということなのだ。
ただの知識が「わかる」に「かわる」のは本当に心地がよい。
私たちは「かわる」ために学んで、行動しているのだ。
図書館でたまたま手に取った本、わかりやすくて、面白くて気づきが多いので覚え書き。