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さよならの解釈 

はじめに

今更かもしれないが「さよなら」という言葉は、なかなか深い気がする。
人と別れるときに用い、相手との別れを惜しむ気持ちを伝える日本語。

別れには生別と死別と2種類あり、出会ったものは必ず別れる。
別れは誰でも経験するありふれたことといえる。
出会ってからの時間が楽しく思い出が増えるほど、別れの悲しみは増える。
…等々

色々と1人で考えていたら訳が分からなくなったので、詩の力を借りてさよならについて考えてみた。

さよならだけが人生だ by 井伏鱒二

「さよならだけが人生だ」という有名な言葉があるが、全文は以下のものだ。
井伏鱒二が、于武陵による「勧酒」という漢文を翻訳している。

コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ

「酒ヲススム」井伏鱒二訳

・別れに際しお酒を飲み交わす二人の情景 
・「花に嵐」の例え(綺麗に咲いた花を激しい風が撒き散らしてしまうことから、良いことにはとかく邪魔が入りやすいこと。)
・さよならだけが人生だ

前半の杯、友、花の華やかな雰囲気に続けて「さよならだけが人生」とある。  別れが辛く、さよならばかりの人生に対して悲観的で諦めているようにも、
いつか必ず別れがくることを分かった上で、くよくよせずに一緒に過ごせる時間を楽しもうとしているようにも思える。
前者について考えると、「さよならだけが人生」というのは強い言葉だけれど、究極的にはそうなのかもしれない、みんな最後には死んでしまう、出会いも別れも特に意味は無いのかなという無常感がある。
後者は救いがあっていい。
どちらの考え方も分かるなあ 別れは悲しいなあと思ったところに、これを受けて書かれた詩である。

さよならだけが人生ならば 人生なんかいりません  by寺山修司

さよならだけが 人生ならば
また来る春は 何だろう
はるかなはるかな 地の果てに
咲いている 野の百合 何だろう

さよならだけが 人生ならば
めぐり会う日は 何だろう
やさしいやさしい 夕焼と
ふたりの愛は 何だろう

さよならだけが 人生ならば
建てた我が家 なんだろう
さみしいさみしい 平原に
ともす灯りは 何だろう

さよならだけが 人生ならば
人生なんか いりません

「幸福が遠すぎたら」寺山修司

「さよならだけが人生」という井伏鱒二の詩を受けて書かれた、「幸福が遠すぎたら」という寺山修司の詩である。
春がまた来る、地の果てで百合が咲く、夕焼けが優しい、二人の愛、家を建てる、灯りをともす といった暖かい日常に焦点を当て、さよならだけが人生だとしたらこの暖かい風景は何なのだろうと考えている。
人生に別れがつきものだとしても、日常で出会えるこの幸福は無意味じゃない、一生は決して別れだけの冷たく寂しいものでないと言っている感じがして救われる。ラストも、もし人生がさよならだけだとしたらそんなもの願い下げです、というしっかりとした強さがあって好きだ。

さよならは仮のことば by 谷川俊太郎

夕焼けと別れて
ぼくは夜に出会う
でも茜色の雲はどこへも行かない
闇にかくれているだけだ

星たちにぼくは今晩はとは言わない
彼らはいつも昼の光にひそんでいるから
赤んぼうだったぼくは
ぼくの年輪の中心にいまもいる

誰もいなくならないとぼくは思う
死んだ祖父はぼくの肩に生えたつばさ
時間を超えたどこかへぼくを連れて行く
枯れた花々が残した種子といっしょに

さよならは仮のことば
思い出よりも記憶よりも深く
ぼくらをむすんでいるものがある
それを探さなくてもいい信じさえすれば

谷川俊太郎『さよならは仮のことば』

以下自分なりに解釈してまとめたものだ。


具体例 (時間経過と存在)
・夕焼けが終わり夜になっても、闇の中に茜色の雲は存在している
・夜が終わり昼になっても、光の中に星は存在している
・成長しても、今の僕の中心に赤んぼうだった僕は存在している

 ・花々は枯れたが種子を残した
 ・祖父は死んだが僕を残した

主張
 ・誰もいなくならない、(時間が経ち見えずとも確かに存在している)
  =さよならは仮のことばだ
  時間を超えた場では、祖父と僕 花と種 がつながる
 ・思い出や記憶を超えて僕らを結ぶものがある 
  探しても見つからないがそれを信じさえすればいい


「誰もいなくならないとぼくは思う」という一文がすごいと思う。新鮮な主張なのに、前半で具体例が多く出ているから分かりやすく、すんなりと受け入れられる。
その上文章がすごい。ひらがなが柔らかく、表現が美しく、光景が浮かぶ。
「ぼくらをむすんでいるもの」が何なのか、分かりそうで分からないのが探しても見つからない感じがする。谷川俊太郎の他の作品を読むと、宇宙規模の力や大きな命などが浮かぶ。目に見えないものとの深いつながりを感じる壮大な詩だ。
「さよならは仮のことば」というタイトルに、どういう意味だろうと惹かれてこの本を手に取った。時間に隔てられて目に見えなくなっても他者と結ばれている、存在していると思うと、不思議な気持ちになる。

最後に

 詩は偉大だなぁと思う。唐の時代からさよならを考えている人が当たり前みたいにいて、令和の日本人にも共通して伝わる。表現が綺麗で、解釈が自由で、暖かくて救いをくれる詩たちに出会えた。書いてる人たちすごいなあ。
 詩は行き詰まったとき用にと先人達が残してくれた処方箋みたいな感じがする。
こんな考え方はどう? こういう景色はどう? 言葉にしたらこう? みたいな…
自分だけじゃ見えない世界に数行で飛ばせてくれるような詩が、無限に遺されてるから安心だ。


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