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あこがれ

子どもの頃はあまり病気をしない元気な子だった。ケガも転ぶ程度で、骨折などしない。
だから骨折で肩から包帯で腕を吊っていたり、
風邪をひいて声がしゃがれて出なくなるのが羨ましくてしかたなかった。

バンドエイド一枚で終わってしまう怪我は、誰からも心配されず、気にもされない。ちょっとした突き指で小さな湿布も同じようなもの。
なんだか、一応、痛いんだけどな…と思いつつも私なんか誰も心配してくれないんだなぁという孤独感が、常にあった。

それは、弟のインフルエンザのことを書いた時の通り、私は大事にされてないと感じていたから。

そんな中、彫刻刀を使う授業があった。手を切ったら保健室へ行っていいという指示が出されて、私はあれこれ試してみたけど、なかなか簡単に指を切るなんて出来なかった。最後にかろうじて、ほんのちょっと指を切ることができて、保健室へ行ったけど、小さい傷だからバンドエイド一つ。
誰からも「大丈夫?」なんて心配もされない。

一度だけ、右手の指4本が霜焼けになって、痛痒くて付け焼き刃の薬を塗って、包帯を巻いて学校に行った…あれは小2か小3の時。その時ばかりは「どうしたの?大丈夫?」と言われて嬉しかった。

私も心配してもらえた…そこに私も大事に思ってもらえたという感覚を覚えたからだ。

ある意味、これは危険な発想だ。よく、リストカットなどに走らなかったと思う。そこまでの度胸が私にはなかったからだろう。

6年生の時、扁桃腺切除の手術をした。2万人に1人出血多量で死亡する事があるとクラスメイトに話したら、たったそれだけの確率で不安になってる事に呆れられた。そりゃそうだろう。世の中にはもっと危険な手術はごまんとあるんだから。

ところが、この手術は、私に意外なことをもたらした。風邪をひきやすくなったのだ。特に、喉がいがらっぽくなって、声枯れするようになった。いかにも【風邪ひいてます】宣伝してる状態になり、それをちょっとからかわれたりするのもたのしかったりした。

こうして、私は憧れの声を手に入れた。扁桃腺をとると普段の声も変わる。変わったせいで、仙石さんにしつこくからかわれたりもした。それはちょっと傷ついたりした。我ながら、勝手である。

就職して私の声を喜んでくれる人が多い事を知った。多くのお客様や、遠くの支店の方が、「あなたが電話に出ると嬉しい」と言ってくれて、一度退職する時に大きな花束をお客様から頂いたこともあった。以降、電話応対には磨きをかけた。若い社員のお手本にされることもあった。

私が「あこがれ」の立場になるなんて、誰が想像しただろう⁉️いや、私自身が信じられなかった。
今はそれとは、全くご縁のないところで仕事はしている。

私のあこがれ遍歴。子どもじみていて、人の目を集めたい、心配されたいからはじまって、今に至る。紆余曲折。なかなか私らしいなと感じている。

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