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生きるって面倒くさい

虐待の家で育ち、とりあえず高卒まで頑張って、それから就職して
自立しようと思って頑張った。
初めて1人で眠れた日のうれしさは何十年経っても忘れない。

もう、怯えなくていい

正直前職は国立大受験より難しかったが、なんとか受かった。
(間違って進学校に入学したので、親から大学受験を強要された。
世間体のため)
なので私は国立大法学部受験経験がある(合格)

でも、そんなことよりとにかく家から逃げたかった。
逃げて、給料は安いが安定した職に就けたので
一生ひっそりと1人で生きていくには困らない。
そうやって18歳1人暮らしが始まった。
教習所の夜間部に通って免許は自腹で取った。
上司や同僚に教えてもらって、任意保険や色々な手続きも頑張ってやった。
職場環境は良好。
異動がある仕事で、異動経験もあるが、異動先でも同じく良好。
仕事は好きだった。

だが、ある時何のトリガーもないのにフラッシュバックが襲ってきて
それから精神科通いが始まり、職員全員の給与を1人で担当していた私は
疲れ切っていたこともあり、お金のことで同僚に迷惑をかけてはいけないと
思って休職することにした。
復職の打診が来たが、まだメンタル系の病が広く知られていない時代だったこともあり、復職したらいきなり100%で働かねばならなかった。
※今は徐々に慣らしていく方法が取られている

無理・・・
もうどうでもいい

退職することにした。

病気は悪くなっていくばかり、頼る人もおらず、受診すら辛くてたまらず
出かける時はアパートに帰ってこられないかと思って家を出ていたな。
離人症、聴覚過敏等々色々な症状も出て、病態は悪化してゆくばかり。
当時通っていたのはクリニックだったのだが、自分から
「入院させてくれ」と申し出た。
クリニックなので入院設備はないが、当時の主治医がすぐ
病院に連絡を取ってくれて入院(任意入院)
それからは、我慢しすぎたのが爆発したように
任意入院を繰り返すことになる。

障害者手帳はすぐ申請したのだが
障害年金も取れるのではないかと主治医から言われて
社労士さんに頼むお金もなく、1人でなんとか申請した。
これは前職で年金の係であったこともあり
脳みそ爆発するかと思ったが、なんとか受給にこぎつけた。

私のような者が暮らしてゆくための制度があることは知っていたし
これまた前職の関係で申請主義の日本で情報を取りに行くことも
わりと容易にできた。
のだが。

今私は成年後見人制度の利用を検討している。
これもどこに申請すればいいか、どのような書類がいるか
調べるのは割と簡単である(これまた前職のおかげ)

でも・・・

もう何もかも1人でやっていくのはつらくなってきた。
面倒。
これでも使える制度は全て使うというスタンスでやってきたのだが。。
またあれこれ書類を揃えて出向かねばならないとは・・・
代理人になってくれる人など私の周りにはいない。
ちなみに、色々な制度は「使ってもらうためにある」のであるから
何も恥じることはないし、恥じたことはない。
しかしね。。

もう何もかも面倒なんだ。
あとどのぐらい生きていかねばならないのだろう。
今、毒親って言葉をよく聞くけれど
私はずいぶん前にこの言葉の由来ではないかと思われる
スーザン・フォワード氏による
「毒になる親 一生苦しむ子ども」という本を読んでいた。
この本の中には、親との関係、または自分の心にけりをつけるための
ヒントも書かれていて、実践したこともある。
ただ、お国柄の違いなのか、私の 親という人達 がおかしいのか
何も響かなかったし改善されなかった。

もう嫌だ。
何もかも嫌だ。


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