見出し画像

19. 錆びた夢 〜鉄と油の狭間で見えた光〜

私のnoteでは、かつての芸人時代の体験を物語として綴っています。本日のテーマは「笑いの意味」です。最後までお付き合いいただければ幸いです。

代償

『芸人やってたなら何か面白い事やってよ』

そんな事を言われるたびに舌打ちを我慢して心の中でため息をついた。好きな事を10年もやってきた代償だと割り切りながらも、何かが少しずつ心を蝕んでいるのを感じていた。

今に思えば痛々しい過去がある。芸人を引退し、就職してからも僕は何かあれば突っ込み、小話のネタを探す日々を送っていた。

決して「芸人をやっていました」と誇示したいわけではなかった。できる事なら隠したかった。ただ、20代の空白を何も説明しないほうがかえって不自然に思えた。社会にすんなり馴染むには必要であった。

僕は芸人時代、スイッチのオンオフを切り替えるように活動していた。舞台に立つ瞬間、頭の中で「オン」に切り替えることで観客の前で突っ込んだりできた。しかし、舞台を降りると、そのスイッチは「オフ」になり、普段の自分に戻った。

芸人を引退し就職をしてからも、ふとした瞬間に「オン」にすることも多かった。それは、あくまでも社会に馴染むための努力の一環だった。

スイッチを捨てた日

ある日、頑張ってスイッチ入れるのやめようと思うきっかけがあった。

会社の同僚が僕の所にやってきて、もう1人の同僚を紹介する際にこう言った。

「こいつまじ面白いんで。こいつの話聞いてくださいよ」と。

面白いと言ってる時点で引いているが、「え?なんすか?なんすか?聞かせて下さい」といつでも突っ込めるように前のめりになった。

話の内容はざっくり割愛するが、車の運転中に犬が飛び出してきて、ひいてしまったがそれが段ボールだと思ったと言うのがオチらしいのだ。

面白い以前に笑える話じゃないし、これを面白いと思っている感覚が全く理解できなかった。

二人は腹を抱えて笑っていたが何も面白くないし、虚しささえ覚えた。プロの芸人が面白いのは平衡感覚があるからなのだとこの時初めて気付いた。

そして自分は今まで芸人のスイッチ入れて頑張ろうとしていたけどこれからはもう辞めようと思った。

ふらなきゃ、ボケなきゃ、突っ込まなきゃと必死だったけどそういうのはプロのやる仕事で周りにプロのいない環境でそれをやるのは間違いだと気がついた。

これからは面白くないと言われようがもうオンにして張り合うのは辞めようと決意した。もう引退したのだから芸人としての自分を捨てて社会人としての自分を受け入れることにしたのだ。

場に応じた振る舞いを学ぶことが、今の自分にとって必要なことだと思った。

失ったアイデンティティ

ふらなきゃ、ボケなきゃ、突っ込まなきゃのスイッチはすっかり捨てた。

それらは何の支障も無かったし、とても楽だった。と言うよりも現実は日常が笑える余裕なんてこれっぽっちもなかったのだ。

毎日イライラしていたし、仕事が無意味に思えた。当時は自動車のライン工をやっていて、人生初の肉体労働に身も心もやられていた。

テレビをつけると今まで近くにいた仲間が輝いている。自分は油まみれになりながら何とか毎日を暮らしているだけだった。虚しさから自然とお笑いも見られなくなっていた。

会社員生活を長く続ける中で元芸人ということを言わなければいけないシーンも少しずつ減ってきた。白紙の履歴書に会社員という色が付いてきたからだ。

それと同時に心の中に小さな壁ができていった。毎日同じ時間に起き、同じ仕事を繰り返す日々。本当の自分を見失っていく。周りの人々は楽しそうに見えるのに、自分だけがその輪の外にいる気がして、いつ間にか自分が誰なのか、何を目指していたのかすら分からなくなっていた。

週替わりに夜勤と日勤が入れ替わる交代勤務と過酷な労働が身も心もボロボロにした。真冬なのにシャツはびしょ濡れになりメガネにはポタポタと汗が垂れた。夜勤の体にようやく慣れ始めてきたところでもう来週はもう日勤なのだ。腱鞘炎でペットボトルを開けるのもままならない。

作業が遅れて追いつく目処も立たないのにラインは容赦なく流れてくる。ラインのスピードに合わせるほかない。間に合わないとパトランプが回り、ブザーが鳴り響き、ラインは強制的に止まってしまう。リーダー達は止まったラインを動かすために走り回る。

僕はラインを何度も止めてしまい、リーダー達に目をつけられていた。でもどう頑張っても間に合わなかった。そんな時、さりげなくフォローをしてくれる同僚がいた。

Nさんの存在

Nさんは僕より少し年上で、社歴も長かった。整った顔立ちにどこか影を感じさせるところがあり、それが彼の魅力を一層引き立てていた。

Nさんは、いつも静かな佇まいで、周囲の喧騒とはまるで別次元にいるようだった。北海道出身で口数は少ないが、必要な時には的確に言葉を選び、コミュニケーションが上手だった。

Nさんは僕がラインを遅らせるといつもさりげなく助けてくれた。お礼を言われるのも恥ずかしいのか僕が近付くとスーッと離れた。

Nさんの気遣いはいつもさりげなかった。僕があたふたしている時に僕の作業を自分の工程でやってから流してくれた。

「Nさんありがとうございます」

「いや、なんも」

そっけなく答える「なんも」と言うのが僕はとてもかっこいいと思ったし好きだった。

ある日のこと、残業が続き、僕はすでに体力の限界を迎えていた。力が入らずハンマーで打ち込む作業がもう出来なくなっていた。

すると、Nさんが珍しく僕に「残業きついよねー。俺も嫌だ。でも、あと30分だよ。頑張ろうぜ」とニコッと話しかけてきた。

決して、何かボケた訳でも面白い話をされた訳でもないが僕はNさんの言葉と笑顔にフフッと笑っていた。その瞬間、体の疲れがスーッと抜けたのだ。初めての感覚であり、不思議だった。恐らく笑ったことで呼吸が整ったのだ。

芸人を引退後、あえて笑いから距離を置いてきたが笑いの重要性をここで初めて知ることになった。

ボケやギャグだけが笑いじゃなくて、思わず笑ってしまうようなことも笑いの一つなんだと気がついた。そもそも、それでよかったのだ。

それからは僕も同じような後輩を見た時は声をかけるように心がけるようになった。何か面白い事なんて言う必要はない。フフッでいいのだ。

それが僕の人生の学びなのだ。

フフッ。

いいなと思ったら応援しよう!