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言葉尻を捉えてみる
かの有名なアメリカの子ども番組
「セサミストリート」で
好きなお話があります。
それは
自閉症をもつジュリアの初登場回。
今回は
あえて言葉尻を捉えてみる。
ジュリアとお友達になりたかったビッグバードは
話しかけたりハイタッチを求めたりしますが
思うように応えてもらえません。
ジュリアは僕のことあまり好きじゃないのかな...
としょんぼりするビッグバードに
アランとエルモとアビーが
ジュリアは自閉症なんだよと
伝える場面。
日本語吹替え版では
(アビー)ジュリアって、みんなと少しやり方が違うって
いうか、ジュリアスタイルっていうか!
(エルモ)そうだね。
(ビッグバード)ああ、分かった!
(アビー)そう。あと、ジュリアはとっても楽しい!
と訳されていて
最後のアビーの「あと」がとっても好きなんです。
日本語でこの会話の流れだと
ついつい「でも」って言っちゃいそうになりませんか。
ジュリアはみんなとは違う。
でも
ジュリアはとっても楽しい。
みんなと違うことはネガティブなことで
それを打ち消して
でも、楽しいよ、みたいな。
対してあと、なら
ジュリアはみんなと違うという
単なる特徴を述べた上で(=そこに優劣の価値観はない)
それからね、ジュリアはとっても楽しい子なんだよ!
と付け加えた感じ。
このニュアンスが好き。
ものごとをどう捉えているかって
こういった細かな部分
助詞とかこそあどに現れたりするんじゃないかな
なんて思います。
もっとも原作では
(アビー)She does things just a little differently,in a Julia sort of way.
(エルモ)(うなずく)
(ビッグバード)Oh okay.
(アビー)And She is a lot of fun!
となっているので
この"And"を「あと」と訳したに過ぎないんでしょうけれども。
しかしココが「あと」になっている意味は
このご時世大きい気がする。
たとえばほら
私たち世代にとってセンシティブな話題でいくと
既婚未婚の別や子どもの有無。
〇〇さん結婚してないんだね
でも、結婚が全てってわけじゃないしね
こんな会話を聞くと
その「でも」は何に対する「でも」なの?
なんて勝手に引っかかっちゃいます。
(もう少し前後の文脈や背景があれば
分からないでもないですが
たったこれっぽっちの会話で“でも”とは??)
そこには何かの
思い込み・先入観・バイアス・固定観念
が隠れているように思えてなりません。
(詳しくは別の機会にゆっくり考察するとしましょう)
とはいえ
そういった思い込み・先入観・バイアス・固定観念は
育った環境や文化によって
知らず知らずのうちに醸成されていくものなので
上記の話者が悪いとも思いません。
ジュリアの話に戻すと
あの流れで「でも」と言っちゃいそうになるのは
みんなと同じでなければならない
はみ出してはいけない
と日本の学校や会社で
長い間刷り込まれてきた結果なのかもしれませんしね。
何が言いたいかというと
あと、ジュリアはとっても楽しい!
この台詞がとにかく好き!ってこと。
それだけです。
アメリカの感覚では当たり前にAndなのか
それとも原作者が意図してAndにしたのか
その辺は分かりませんが
本日はちょっと言葉尻を捉えてみた
すののぼやきでした。
引用したのは2:50あたりから。
最後までお読みくださりありがとうございました☺️