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不良がどうして校長になれた?

4月からnoteに投稿を始めて、約7ヶ月が経ちました。
フォロワーは少なく、「スキ」もそんなに付きませんが、それでも、投稿をコツコツと続けられている理由は至ってシンプル。

「楽しい」からです。

アクセス数を見て「おっ、ちょっと増えた!」なんて思ったり、初めての「投げ銭」をいただいて「何だ、これは?」と驚いたりするのも楽しくて。
こんな感じで楽しんでいるから、続けられているのかと思います。

さらに、この投稿が続けられているもう一つの理由が、自分の生い立ちにあります。


近所の床屋さんで・・

床屋のおじさん:「◯◯くん、今何してるの?」
私:「小学校の先生をしています!」
床屋のおじさん:「えっ、先生!?あんな不良だった◯◯くんがなぁ」

その時、私は初めて、自分が「不良」だと思われていたということに気づいたのです!自分では「不良だった」という自覚はなかったので、寝耳に水の話でした。

私の両親は繁華街で居酒屋を営んでおり、明け方まで店を開けていることが珍しくありませんでした。仕込みも昼過ぎから始まるので、家族でゆっくり過ごす時間はほとんどありません。

ですから、夕方になると近所の仲間たちと過ごすのが日常でした。

Aくんのお母さんはシングルマザーで、スナックを経営していました。仕事で家を空けることが多かったため、そのアパートが自然と私たちの溜まり場になっていました。

Bくんの親はパチンコ店を経営していて、私たちはパチンコを楽しんだり、無免許で原付バイクを乗り回したりと、世間から見れば「良くない」とされる遊びに興じていました。

そんな私たちは、地域の人には「不良」の集まりと映っていたのでしょう。でも、私自身にはその自覚はありませんでした。


素晴らしい講師との出会い

そんな生活を送っていたのですから、当然のごとく大学受験に失敗します。

大学浪人となった1年目は、家を出て新聞販売店に住み込み、新聞配達をしながら受験勉強をして大学を目指しました。

でも、基礎的な学力が無いことから独学で成果を上げることができずに、大学2浪目に入ります。

さすがにこのままではダメだと気づき、自宅近所に小さな部屋を借りて予備校に通うことになります。そして、ここでの優秀な講師との出会いが大きな転機となりました。

この講師の驚くほど的確な指導で学力が飛躍的に伸び、念願の教育系国立大学に合格することができたのです。

そして4年後、教員採用試験に合格し、教員としてのキャリアをスタートします。

負の経験が活きる

不良と思われていた負の経験が、教師としての指導に活きることもありました。それは、いわゆる「手のかかる」と言われる子への対応です。
生活が乱れたり、学習が遅れたりしている子は教員にとって指導の対象となります。

多くの教員は、その「負」の側面を改善しようと努めますが、私は「何がその子をそうさせているのか」と背景を探ることから対応を考えました。

たとえば、家庭環境が原因の場合、子どもに直接の責任はありませんが、そのようなケースでは教師としてできることが限られています。

ですから、まずは子どもの話に耳を傾け、理解を示すことを心がけました。すると、子どもたちは自分を理解してくれる大人がいることを感じ、次第に心を開いてくれるようになります。

このように子どもたちと向き合う中で、私自身も成長することができました。

そして、教員として35年間勤務した最後の8年間は校長として教職を退職しました。


お前は、やればできる!

退職後、人生を振り返る機会が増えました。

その中で、不良と思われていた私が、どうして教員になり、さらには校長職を務めることがきたのかということも考えます。

お恥ずかしい話ですが、最近になってその理由が、父の息子の将来を思う気持ちだったと気づきました。

父は店の経営に忙しく、私と過ごす時間がほとんどありませんでしたが、時折、私の将来について語ってくれることがありました。「安定した職に就きなさい」「人を育てる教員という仕事はやりがいがある」といったことだったと思います。

何より「お前は、やればできる」という言葉は、今でも私の心に響いています。

また、自転車操業状態で生活していた父には、息子のために部屋を借りる経済的余裕などなかったはずです。さらに、予備校に通わせるために、どのようにお金を工面していたのか想像もつきません。

現在の「格差社会」では、貧困家庭の子供たちが十分な教育を受けられず、次世代に貧困が引き継がれる「貧困の負の連鎖」が深刻な問題となっています。

当時、父には貧困の負の連鎖を断ち切りたいという強い思いがあったのだと、今になって思います。この父の思いがなかったら、私は間違いなく負の連鎖に呑み込まれていたと思います。

そんな父も、既に他界しています。

仏壇に手を合わせて毎日感謝の気持ちを父に伝えていますが、生きているうちにこの感謝の気持ちを直接伝えたかったと強く思っています。


少しでも支えになりたい!

現在は、小学校の教師を退職して教育系私大にお世話ななっています。

教員採用試験対策講座を担当していますが、未来の先生を目指す学生たちと向き合う中で、「あの予備校の講師のように、人生を変える支えになりたい」との思いで取り組んでいます。

また、このnoteが、私の浪人1年目の時のように「このままで合格できるのか・・」と、不安を抱えながら独学で教員採用試験を目指して頑張っている受験生にとって確かな情報源となり、そして少しでも彼らの支えになれることを願っています。

これが、noteを続けているもう一つの理由なんです。


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