映画「PLAN75」凱旋上映@新宿ピカデリー
母が要介護状態になり10年余り。ヘルパーの力を借りながらも、父が世話をする在宅介護に限界が来ていた。私が見つけてきた病院に見学に行った父は小さな声で言った。
「あの病院はだめ。お母さんは入れられない」
看護体制が良くないのか、それとも軽度の患者のみを受け入れているからか。
「空気が重い。死を待っている病院だよ。あれでは、ただ”生きている”っていうだけだ」
「お母さんも同じだと思うけれど」
と私は言った。かなり冷たく聞こえたはずだ。
”それは違う、いくら自分から発信できなくても、自宅にいればこちらから話しかけることは聞こえる。人間らしい暮らしがある”というのが父の言い分だ。
常に寝不足と腱鞘炎でイライラ。二度のがん手術も経験している父。そんな体で介護するのは無理だと何度も説得した。私は両親を一気に失うよりは、助かる可能性のある方を残したかった。
「お父さんはまだ頑張れる!お母さんは自分が見る!」
取り付く島のない父にモノをいう気が失せて、私はそこから2か月ばかり帰省する気になれなかった。
映画「PLAN75」を見て、当時のことが頭をよぎった。主人公のミチのように、私も一人暮らしの老人になる。あんな風に政府が死後の片付けを引き受けてくれて、安楽死と埋葬まで世話してくれる仕組みができたら、どれほど老後が気楽なものになるだろうか。
父と私が諍ってから4年後、母は眠るように亡くなった。あの時の父の決定はきっと正しかったのだろう。
だが、私の示した選択肢も決して間違っていたとは思えない。