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現代日本で、自殺者が多い理由について、考えてみた。

日本人は、自殺する人が多い。

弱者は、自己責任だという人が38パーセントと、他の国を抜いて高い。(平均は30パーセント位。)

また、自殺率は先進国の中でダントツ高い。

近年では、経済の不安定さから徐々に自殺者が増えてきている。

 自殺には、自己本位的自殺(孤立からくる、孤独感、焦燥感、虚無感、静かな絶望からくるもの)と集団本位的自殺(共通の道徳的秩序が壊れた事で起こるもの)の2種類があると言われているが、今回は前者について取り上げようと思う。


 日本人は、兎に角自分にも他人にも厳しい。同調圧力も強い。
『出来ないのは、努力が足りないからだ』
『皆、もっと頑張ってる』
等と、本人の立場を考えずに精神論や根性論を押し付ける。

 病んでる人がネガティブな事を吐き出すと、日本ではそれを悪としポジティブになるように押し付ける傾向にあると思う。要は、ポジティブ主義が蔓延しているようである。

 ある文献によると、「生き続けていれば、 いつかきっと いいことが起こる」 と、前向きに言ったところで、 強い希死念慮を持った人の心は救われるのか疑問である。 「自殺をするほど の苦しみが長期間続くとは限らず、苦しみが一時的だからと宥めたところで、 それに納得してくれくれるは限ら ないというのだ。

 周りに気を遣い無理に明るく振る舞い、そしてぷっつり限界が来て自殺してしまう人だって少なくはないだろう。

 私も、強い非力感と絶望感に囚われ希死念慮に陥ってしまった事がある。
仕事は、何処行っても続かない人間関係を構築できない、仕事は中々決まらないー。
それでやっているような得意分野はない。
そして、年齢的にも焦りを感じてきたのだ。
前記の努力に直結し、自分を責めることが多くあった。

 そういう時があったから、希死念慮や自殺願望のある人達の気持ちはよく分かるのだ。

 とある文献には、自殺しない人の共通点に、『社会との強い大義の結びつきがある』、『他人と感情を共有した交流がある』、『自分は孤絶せず道具ではないという感覚がある』『という事が大事だと、言われている。

 私はTwitterで人と繋がる事にしてみた事があった。そこで、ひたすら苦しみを書き出してみた。辛くなる度に吐き出していた。すると、似たような境遇の人達と気持を共有し、心のモヤモヤが軽くなってきたのだ。

 今は、病みが緩和していきTwitterやめたが、こうして今でも気持ちを言語化し誰かと共有する事で心の整理が出来ている。


 私はたまに、昭和のドラマや映画に出てくるような他人を思いやり温かで人情味溢れる人間社会に憧れを抱いている。
誰もが困っている人を見ても放って置かない。極端に不器用な人に寄り添い、手を差し伸べる。
 昔は今より豊かではなかっただろうが、そういう優しさが羨ましく思えるのだ。だから、自殺率が今より低かったのではないかと思うのだ。

 自殺は、『混乱からくる怒り』だとも言われている。

 時代が時代だから、ギスギスしてしまうのだろうが、人の弱さや不器用さに寛容で均衡の取れた社会になって欲しいと、思う。


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