ギフテッドは、何故生きづらいのか考えてみた。
ネット上で、よく、ギフテッドの方々で生きづらいと悩んでいる人がいたり、当事者の苦しみについてよく取り上げられているのを目にします。
IQが高いということは、物事の違和感に気付いたり、問題解決能力が高い事を意味します。
ですので、多くの人が何も感じない部分についても気付く事が出来、周りをあっと言わせることも出来るでしょう。
ですが、当事者の中には「IQ30下げたい…」や、「普通になりたい…」などと悩んでいる人もいるようです。
私は、凡人側の人間なので、彼等の悩みは贅沢な悩みだと、ずっと思っていました。
ですが、N型人間の立場で考えて見た時、彼等の生きづらさが何となく分かってくるような気がしました。
私は生粋のN型人間です。所謂、物事を直感で考える事が多い人間です。
自分の在り方や物事に疑問を感じたり、変化や可能性を希求したりしやすいです。
しかも、N型は少数派であります。
それが煩わしくなり、時に悩んでもしまいます。
ギフテッドの方々も、これに似たような感覚があるのでは無いか?と、思います。
傍から見たら贅沢な悩みでも、当事者からしたらその機能が煩わしく思えてしまうのです。
ギフテッドの方々は、物事に対する違和感や問題点について感じやすいですし、自分の感覚に周りがついていけなく、孤独感を感じやすいのでは無いか?と、思います。
物事が分かりすぎてしまう故に、周りの物事に対して退屈に感じてしまう事もあるかもしれません。レベルが低いと感じることもアルでしょう。逆に周りの感覚が不思議になってしまう事もあるでしょう。
また、日本は出る杭は打たれる国なので、少しでもはみ出した者には厳しい国だと思います。
学校が退屈に感じたり、社会に出たら周りの感覚に合わせてやっていかなくてはならない部分もあるかと思います。
ギフテッドで、障害のある人も中には居るかと思います。
当事者の中には、作業所や移行支援、オープン雇用が退屈、物足りないと嘆いてしまう当事者も少なくはないでしょう。
また、日本では能力の抜きん出ている人を育てるのが弱い、時にその才能を潰してしまう感じになっていると思います。
足を引っ張る者も、多く居ます。
贅沢な悩みだな…で、片付けないで、当事者のことをもっと知りたいと共に、日本は才能のある人が生きやすい世の中になって欲しいと思います。