ASD受動型の苦しみと生きづらさについて
私は、周りに変に気を使い、モヤモヤをうまく言語化出来ない。
いつも受け身であり、自分からアクションは起こせない。
『何でも話してくださいね。』
『何でも聞きますよ。』
などと言われても、何話せば良いのかが分からない。
ホントに、何話せば良いのかが、分からないのだ。
そして、相手に誤解を与えてしまい、人との間に距離が出来てしまう。
親しい相手にも、発動してしまう。
定着支援の面談の時も、そうだ。
話すのに遠慮が走り、うまく言語化出来ない。
無理して我慢しているような感覚である。
スタッフさんは困り果てるが、話すのに勇気がいるのだ。
メンタルクリニックの先生にも、あんまり何も話せてないかもしれない。
ーまた、言えなかった…
と、モヤモヤしたまま終わってしまう。
自分の困り事をありのまま話すと、苦しみが襲ってもくる。恥ずかしくもあるし、向こうも困惑する事だろう?と、思えてしまうのだ。
とにかく、言語化が苦しい。
声が喉につっかかるような感じだ。
昔から、自己主張が苦手でいつもら周りに流されてしまっていた。
自分が、我慢すれば良いのだとすら、感じ、ストレスが蓄積されていく。
そして、それが倦怠感やうつに繋がっていく。
しかも、いつも自分主体でしか考えられない。積極性もない上に、他人に対して想像力を働かせることが出来ない。
人に寄り添い、心を通わせることができない。
皆だって、同じ人間なのだ。自分と同じように悩むし、話を聞いて欲しい、知って欲しい筈だ。
私は、それがいつも抜けてしまっている。
色々感情が溢れ、暴発・失言し、その矛先を人にぶつけてしまう。
色々良くしてくれた、大事な仲間を失う。
周りとは何かが違うし、人前だと居心地も悪い。
しかも、繊細だから、そんな自分に絶望し病んでしまう、寂しい気持ちでいっぱいになるという、負のループに陥ってしまうのだ。
私なんか、もう、誰とも分かり合えないという、気持ちにすらなる。
普通に意思疎通し合い、円滑にコミュニケーション取れる周りが羨ましく眩しいが、それが難しい。
だから、noteにこうして吐き出し、言語化していく日常である。