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クレームのすゝめ【3分小説】《ショートショート》

「いかがですか?」
 ベッドに横たわる男性客の側で控えるような姿勢をとり、販売員の男は訊ねた。
 どこかの重役だろうか。眉間や頬にしわが深く刻まれ、大きめの四角いメガネの奥の眼光は鋭い。ワイシャツとスラックスに包まれた体躯はややでっぷりとしていて、充分な貫禄があった。
 返事を待つ間にあくびがせり上がってきて、販売員は大きく口を開いてそれを吐き出した。
「うーん……まぁ、いいかな……」
 年嵩の男性客は体を揺らして心地よい姿勢を探るように言った。
「眠りで大切なのは、いかに体に負担をかけないかということなんですね。人間の背骨はゆるやかな曲線を描いてますので、そこにしっかりとフィットさせてあげないと、どこかに負担がかかって快眠のさまたげになってしまうんです」
 販売員の口調はなめらかである。何遍も使い続けてきた言い回しで、すっかり板についていた。
「このマットレスは低反発素材なので、体にすきまを作らないようにフィットさせることで負荷を分散させるんですね。そしてさらに、この表面にある無数の突起。このでこぼこしている構造が柔軟に体を支えますので、寝返りやささいな動きにもしっかりサポートできるようになってるんです」
「んー。なるほど」
 男性客はいかめしい表情を保ったまま、寝返りを打ってその感触を確かめた。
 販売員はその様子を見ながらまたひとつ、胸から湧き出てくるあくびを大きく吐き出した。
 男性客は寝返りを打った姿勢で、販売員が堂々とあくびをしているのが目に入り、たまらず注意をした。
「君ね、さっきから何だい、その態度は」
「はい?」
 販売員は怪訝な様子で返事をした。
「接客中に堂々とあくびなんぞしおって。不愉快だよ」
「あ、それは失礼いたしました。不愉快でしたか?」
「不愉快だよ。客に対してそんなやる気のない態度を取られたら誰だって不愉快になるだろ」
 男性客はいかにも叱り慣れているといった様子で、ぎろりと目に力を入れて販売員を睨みつけた。
「もしかしてクレームを入れたりなんかは……」
「そりゃ、ずっとそんな態度を続けるようだったらするよ」
「はい、失礼いたしました。ところで、いかがでしょう? 寝返りの方の具合は」
「うん。良いと思うよ」
「こちらのマットレスをご利用いただいているお客様からは多くの喜びの声が届いておりまして、長年悩んでいらっしゃった方にも効果が表れているようです。お客様の小さな声を研究材料として、日々——」
 説明を続けながらまたひとつ、販売員は大あくびをした。
「だから君! そのあくびをやめないかと言ってるんだよ。不愉快だと言ったろ」
「クレームを入れますか?」
「……入れるよ! そんな反省もせずにあからさまに客前であくびをするなら、入れるしかないだろう」
「ありがとうございます」
 販売員は有難そうにお辞儀をして、心から礼を言った。
「ちなみに、私の説明をお聞きになってどう思われました? 説得力はありましたか?」
「……ないよ。というより説得力よりも何よりも、その態度が気に入らん」
「じつは私もこのマットレスを使って寝ているんですよ。でもあくびが止まらないんです。どうです? 説得力はありますか?」
「何をぶっちゃけてるんだ、君は。そんなものを売ろうとするな。なんだ、せっかく知人に勧められたのに……君のおかげで台無しだ」
「それではぜひクレームを入れてください。『販売員が眠そうに接客するので説得力がない』と、クレームをお願いします」
 販売員は再び、深々とお辞儀をした。
「君はさっきからしきりにクレームを入れさせたがっているが、いったい何なんだ? 何が目的でそんなことを言っている?」
「それは——われわれの問題ですので。どうかお気になさらず。お客様にはご不満をそのままに、クレームを入れていただければ」
「なんだか気味が悪いな。すっかり買う気が失せてしまったよ。帰るから、きょうは」
「たいへん失礼をいたしました。またのお越しをお待ちしております」
 販売員は去りゆく男性客の背中に向かって、丁寧にお辞儀をした。
 販売カウンターに戻ると、先輩社員の男が血走った目でパソコンを見入っていた。顔はやつれ、疲労が色濃くにじみ出ていているのに、目だけが何かに取り憑かれたようにギラギラしている。先輩は戻ってきた販売員に気が付くとギラギラと濁った眼を向けて訊ねた。
「どうだった?」
「ええ、ちゃんとクレームを入れるように仕向けました」
「そうか。よくやった」
「これを続けて報われる日が来ますかねぇ」
「まぁ、信じるしかあるまい。やらないよりはマシだ」
 そう言って先輩は、手元にあった栄養ドリンクの蓋をグイと引き回して、一気に飲み干した。
「大丈夫ですか? そんなに飲んで」
「自分たちを守るためだ。残業ばかりで社員の声など聞きやしない。ロクに寝られもしないなら、いっそのこと客に見せつけて会社の評判を落としてやる。それなら会社も改善せざるを得ないだろう。——いささか体への負担は大きいがな」
「〝快適な睡眠〟を商売にしている者が〝快適な睡眠〟が取れないなんて、あまりに理不尽ですもんね」

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