かつて「神絵師」になりたかった人間が、noteを書きはじめてもう1人の自分に出会った話。
「私は、絵を描くことが好きです!!」
自己紹介の場面や好きなことについて聞かれたとき
”かつて”の私は自信満々に
そう答えていました。
子供の頃から人見知りで人前で話すことが苦手でした。
そんな自分を表現する唯一の手段といえば
「絵を描くこと」。
それはネットの世界でも変わらず、
学生の頃はイラスト投稿サイト「pixiv」をメインに
創作活動をしていました。
当時ハマっていた作品の二次創作(ファンアート)を描いては投稿し、
作品に評価やコメントがつくと、PCの前でにやけてしまうくらい
嬉しかったです。
私の描いた絵を見て、喜んでくれる人がいる。
そんな充実感を得ていた一方、
サイト内の「人気イラストランキング」を視界に捉えては
「神か…」
感嘆と羨望が交じり合った
溜息をついていました。
「上手い」だけでは表現しきれない
圧倒的なオーラを放つ作品。
こんな素敵な絵を描ける絵師さんの
頭の中はどうなっているのだろう。
絵を描いているとき
どんな世界が
見えているのだろう。
「私も、もっと魅力的な絵が描きたい。
もっと…絵が上手くなりたい!!」
秘めた想いは増していきました。
ある時はデジタルツールの真っ白なキャンバスに
ある時は買いだめたクロッキー帳の1ページに向かい
黙々と模写をし続けました。
言葉では言い表せない
魅力の秘密を掴むために
憧れる「神絵師」に
1ミリでも近づくために。
それから数年が経ち。
社会人として経験を積んでいった頃。
気づいた時には
絵を描くことから離れていました。
絵を描くことが嫌いになったわけではありません。
ただ、どうにも
「描く」という気力が
湧いてこなくなってしまったのです。
きっと「本当に」絵を描くことが好きだったのなら
たとえ社会人になっても
推し作品への熱がおさまっても
誰に見られていなくても
「描く」という行為自体を楽しみ、
自然と生活に根付いているものだろうと思いました。
だから、創作活動から離れていたある日。
気づきたくなかったことに気づいてしまいました。
「私は絵を描くことが
純粋に好きな訳じゃなかったのかもしれない。
…私って
絵が上手な人に憧れて
”絵が上手くなりたかった” だけの人間だった。」
その事実に気づいたときは
ショックでした。
ネット上に投稿する絵を描くということは
自身にとって「本気で描くこと」という特別な行為に
なっていました。
勝手に決めた高すぎるハードルは
いつしか心理的な壁となり、
それはただ創作のエネルギーを
奪うだけの存在でした。
私は自己表現の手段を
失っていたのです。
それからしばらくの間、
インプット中心の生活を送りました。
動画や書籍から知識を増やすのも
それはそれで楽しいものでしたが、
心のどこかでは
「創作・発信活動」をしている人への
羨望を抱いていました。
そんなある日のこと。
”noteで自分の考えを
発信してみるのはどうだろうか?”
ということを思いつきました。
「インプットした知識の私流解釈」
「生活の中でのふとした気づき」
「思考の大切さ」
そのようなことであれば、
私でも書けるのではないかと思ったのです。
ですが今までの自己認識では
文章を書くことはあまり向いていない
と思っていました。
まぁまぁ、物は試し。
軽い気持ちで会員登録をし
短い記事を書き投稿してみました。
すると、頭がスッキリしたような
心地のよさを感じました。
そんなnote初投稿の記事に
「スキ」をいただけました。
びっくりしたのと同時に、
スマホの前でにやけてしまうくらい
嬉しかったです。
この気持ちは、久しぶりでした。
その日から気づいたら1カ月間、
ほぼ毎日noteへ投稿していました。
改めて驚いたのと同時に、
ふとこんなことを思ったのです。
あれ、もしかして私って
文章を書くことが好き…だったりする…?
「文章を書くことが好き」
それまでの人生で一度も出てこなかった発想でした。
ただ、日常を振り返ると微かに
思い当たる節がありました。
何かに悩んだり考え事をしているとき、
まっさらなノートが文字でぎっしり埋まるくらい
感情や思考を書き殴ってスッキリする
ということを定期的にやっていました。
ノートの罫線をはみ出して
わずかな空白も文字で埋めることに
ある種の快感さえも感じていました。
そういえば、とスマホのメモ帳を開きました。
そこには
「思考整理のための謎のひとり語り」や
「脳内ひとり会議の議事録」が
しばらくスクロールできるほど
ずらっと並んでいました。
継続の難しさは「絵を描く」ことで痛感していました。
それはたとえ1カ月でも。
「毎日絵を描いている人はすごい、
私にはできない。」
しかしなぜだか文章は
ほぼ毎日書けていました。
負担もなく、むしろ楽しく。
「文章を書くことが得意」
そんなこと、思ったことも考えたこともありませんでした。
宿題で作文を書くことだって、
あれほど「面倒」だと感じていましたから。
ただここでもひとつ、
思い出された記憶がありました。
中学生の頃。
税金に関する作文を書いて
なにかの賞を受賞したことがありました。
賞状までいただきましたが、
当時は「偶然」で片付けていましたし
その記憶自体、長らく忘れていました。
そんなことよりも、
当時推していた社会公民の先生と
受賞をきっかけに話せる機会が増えたことの方が嬉しかった
という記憶の方がはるかに鮮明でした。
私にとって書くという行為は
好きにも得意にも属さない
単なる「日常」でした。
ですが、誰にも強制されず
1ヶ月間好き好んで文章を書き続けられる人が
無作為に選ばれた100人中だったら、
何人いるでしょうか。
noteという場所に限れば、そこまで珍しくはないかもしれません。
では現実の世界では?
かなり少ない部類に入るのではないか…?
今までもずっと隣にいたのに、
「文章で自己表現を楽しむ、もう1人の自分」
の存在に、ようやく気づいたのです。
その気づきの日から、
彼女は人生の可能性を広げてくれる
頼もしい相棒となりました。
今、文章を書くことで
かつて築かれた創作に対する高すぎるハードルは
少しずつ削られています。
そのおかげなのか、
最近は少しずつ「絵」を描くことも
できるようになってきました。
「絵を描くこと」と「文章を書くこと」には
共通点が多いと感じています。
「魅力的な絵」とは何なのか
「魅力的な文章」とは何なのか
その「本質」に近づきたい。
私が書く理由は、
かつて「神絵師になりたかった私」と
同じ理由なのかもしれません。
最後に
もしこの記事を読んでくださったあなたが
「自分には得意なことがない。」
「これといって好きなこともない。」
と思っていらっしゃったとしたら。
当たり前のようにやっていること、
「当たり前すぎて意識さえしていないこと」はありませんか?
無意識にできてしまうことほど
自分にとっては「普通」なので、
「得意」だという事実になかなか気づけないものです。
”「note」で自分の考えを
発信してみるのはどうだろうか?”
ふわっと浮かんだ些細な思いつきが
日常をがらっと変えることがあります。
自分のことがまだ見えなかったとしても
例えば生活の中で
興味がわいたもの
突然思いついたもの
直感が降りてきたもの
があったなら、迷いながらでもまずは一歩
踏み出してみて欲しいのです。
その影にもう1人の
「相棒になりうる”あなた”」が
隠れているかもしれませんから。
-完-
🌷藤原華さん主催 noteコンテスト🌷
テーマ:「なぜ、私は書くのか」
に参加させていただきます。
応募作品は、過去に書いたこちらの記事を元としています。
はじめはリメイクのつもりでしたが、大幅に加筆&修正をした結果、もはや別物になりました。
藤原華さんの記事からいただいたエネルギーと、コンテストのパワーをお借りして、真剣に自分の文章と向き合うことができました。
成長の機会をいただき、ありがとうございました。
🌷サイトマップ🌷