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適応障害体験記③〜回復のための2つの救い〜

この記事は、前回の記事『適応障害体験記②〜心がぐっちゃぐちゃ〜』の続きです。一度は心がぐちゃぐちゃになった私ですが、そこから復職を目指し、回復していくにあたり、私を救ってくれたもの2つについて書いてみたいと思います。

私を救ったもの①:泣くということ

どん底だった私にとって、救いだったものの1つは「涙がちゃんと出る」ということでした。感情を抑圧することが日常化して、涙があまり出ないという人はいると思います。
でも、私は音楽を聴いたり、映画を見たりすると、その後しばらく止まらないほど涙が出ました。泣けば泣くほど、身体が軽くなって、少しだけ眠れるようにもなりました。溢れてくるうちは、とことんその涙を流し切ったらいいと私は思います。泣いた後は必ずと言っていいほど、少しだけ心が落ち着いて、自責の念が和らぎました。今でも私は、泣くことの効用を信じて涙は我慢しないようにしています。ぜひ、辛い時は思いきり泣いてください。

私を救ったもの②:心の安全基地に出会ったこと

ちょうどこの頃に、私の状況を知った兄の勧めで赤羽雄二さんのオンラインサロンに入会しました。この決断が、私を大きく救ってくれました。
このサロンに入ろうと思ったきっかけは、このサロンには温かくて、優しい人が集まっていると聞いたこと、「パワハラを撲滅しよう」という考えの方が多数いらっしゃって私のような人の力になりたいと思っている人がいるということ、この二つがあったからです。

このサロンに入って、まず赤羽さんご本人とお話をしました。私の話を最後まで聞いてくださり、安心感に包まれたことをはっきりと覚えています。また、赤羽さんは個人的にメールをしても、すぐにお返事を返してくださいました。これほど心強いことはありませんでした。

その後は、サロン内に自分の辛かったことを何度も何度も投稿しました。その度にサロンメンバーの方々から、温かいコメントが届き続けました。そのコメントの暖かさに何度救われたか分かりません。
また、「書く」という行為が私の感情をどんどん整理してくれました。さらに、書いたものへのポジティブフィードバックが私を勇気づけてくれました。

そしてもう一つ、非常にありがたかったことが、社労士の方と私を含む少人数のチャットグループを作ってくださったことです。「ここのチャットでは時間を問わず何でも吐露してください」と言っていただき、何度も深夜に泣きながらチャットしました。本当に何を言っても受け止めてくださいました。「あなたは悪くない、本当によく頑張ってきましたね」と繰り返し伝えてくださり、励まし続けてくださいました。感謝してもしきれません。

赤羽さんのサロンが、間違いなく私にとって心の安全基地でした。(今も)
心が元気な時でも、そうじゃない時でも、いつでも心の安全基地が私の居場所であり、心の支えです。ここが無ければ、今の私はありません。頼れるものには、全て頼ったのでした。

もう一度、クラスの子どもたちと時間を過ごしたい

先生どころか、一人の人間としてもまともに立っていられないような状況から何とか抜け出し、どうしてももう一度学校に行きたいと思うようになりました。
なぜならば、私は子どもたちとの時間が何よりも幸せだったからです。子どもたちのことが大好きでたまらなかったからです。
だからこそ、病気休暇に入らねばならなくなった時、真っ先に頭に浮かんだのはクラスの子どもたちの顔でした。突然始まった子どもたちに会えない日々に絶望したのを今でもはっきりと覚えています。子どもたちに会えないことへの悔しさから、何度泣いたか分かりません。
だからでしょうか。
心が少しづつ前を向き始めてから、一番に抱いた願いは「子どもたちに会うためにもう一度学校へ行きたい」でした。

次の記事では、パワハラ上司がいる状況は変わらない中でどうやって職場復帰をしたのかということについて書いてみようと思います。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

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