迷ったらなぜしないといけないかを考える。

こんにちはグランスです。
人は、人に流されて生きている気がしてならない。もちろん、自分もその一人な気がする。特に10~20代は指標がなかったり、経験値も足りなかったりで、自分で考える事も限界があった。
なので、周りの人の動行を鑑みながら、合わせていたように思える。

人と同じなら「正解」
周りとあっていれば「正解」
そう思えた。
違和感があったとしても、正解を追い求めていた。

周りがしてたから
流行だから
これが僕には合わなかった。
違和感になってしまうのだ。

一度、高校時代に女友達が出来た時、スカートの丈で喧嘩した事がある。
今考えればお恥ずかしい話なのだが、僕は看護学校だった事もあり、校則は厳しく、短髪!黒髪!!詰襟もしっかり!!!!といった具合だ。
僕はそれが正解だし、わざわざ夏休みだけ染めてまた直すとかめんどくさいことしてるよねって本気で思っていた。

女友達は、スカートを短くして学校で怒られると言っていた。
なら辞めたらいいのにと伝えると「ファッションだから」とか「周りがしてるから」と言う。
「本当にしたいの?」と聞くと静かになってしまった。
退学になったら?とか聞いていたら(私も未熟でした)
怒って帰ってしまった。

本当に良くないなと思ったのですが、ここで大事なのは、この女性友達は自分のリスクをとっても可愛いを追求したいのか?学業よりファッションだという事であれば、それを貫くことも一つなのだろうと。ただ、それがただの周りがしているからという事であれば、それはリスクが高すぎないか?と下世話ながらに思ってしまうのだ。

自分がしたい事は、基本すればいいじゃないかと思う。ただ、特に日本はお国柄なのか多数決で正解が決まる気がする。もちろん議論するとかいうものもあるが、長いものには巻かれておこうという感じと言えばいいのか。

自分が無いのだ
いや、違う。自分はあるが、自分を出せないと言った方が正解だ。
それは、何か違った事をすればすぐに何かを言う人がいるからだ。
また、そのリスクを背負えないからともいえる。

出すのは構わない。だが、もう一つの側面「責任」である。
何か行動を起こせば、ルールや指針を鑑みつつ大丈夫かを考えないといけない。これを破った事でのペナルティも甘んじて受ける必要がある。
そのルールを曲げようとすることはナンセンスでしかない。

先ほどのスカートの話で言えば
①そのような服装を容認してくれる学校に行く
②学校に行かない間だけそのようにする
③ペナルティ覚悟で貫く
しかない。認めてもらおうはナンセンスだ。
だって、学校はルールを決めている以上、そこに入学したという事は認めますという意味でもある。それを覆すのは、社会的に言えばアウトなのだ。

そこまで思考を張り巡らせて、どのようにしたらこのスカート丈が続けられるかを考えるのだ。それが周りがなんとなくしているので、なんとなく可愛いくらいの情熱なら辞めた方が良い。リスクが高すぎる。

逆に言えば、逆風が吹いていても、好きなことをとことんやり続ける人は尊敬できるし、何よりかっこいい。それは私がそれに立ち向かうだけの、意気地なしだからである。正解を踏み続けるつまらない人生を歩んでいるともいえる。

今日も、長期休暇を終えた外国人スタッフが整形をしてきた。
韓国の女優に憧れたらしい。だが、周りの人たちは「可愛かったのに勿体ない」という意見が多数だった。また、目と鼻のバランスが悪いので、また成形するという。

これってどうなん?と同僚に聞かれたので、私も考えていた。
当人が納得していればいいんじゃないかと。だけど、その女優になりたくてもなれるわけじゃない。それでも、目指し続けるお金と情熱があればいいんじゃないかと。
ただ、それで言われる事も覚悟でするならいいんじゃないかと。だって自分の人生じゃないからね。
整形をした事でのリスクを背負えるなら全然いいんじゃないかって思う。

正解を踏み続けた方が楽だ。でも、それじゃあロボットと変わらないよね。
人間だから好きなことをした方が良いと思うけど、その行動は本当にしたい事ですか?

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