ありがとう。わたしのスヌーピー。「谷川俊太郎先生」
閲覧ありがとうございます。
今日は、多分、お名前は存じ上げなくても、どこかで作品の片鱗でも、見たり、読んだり、歌ったりしたことがあるのではないかなと思う、稀有な詩人、
谷川俊太郎先生のnoteを書いておこうと思います。
俺はおとつい死んだのに
世界は終わる気配はない。
谷川先生の作品「ふくらはぎ」の、一部分ですが、
今、先生は、どこかで、こんな風に思っていたりするかもなと感じます。
わたしが、谷川先生をはっきりと確認、意識したのは、かの有名な「スヌーピー」からです。
スヌーピーが大好きだったからとか、ではぜんぜんありません!むしろ、逆で、「むかつく犬に違いない」と、小学生の時に思ってました。ナハハ。
それには、理由がありまして、わたしが、小学校高学年の時、うっすらといじめに合いまして。
仲良し四人組で、つるんでおりましたが、ある放課後、その時に流行っていた、キャラクターのペンをみんなで買いに行こうとなってましたが、その日の夕方、わたしは、祖母の家に行かねばならなくなり、ペンを買いにいけませんでした。仲良しさんたちと一緒のペンが無いのは、かわいそうだと思った父親が、次の日に仕事帰りにそのキャラクターペンを買ってきてくれました。喜んだわたしは、次の日、三人にペンを「これでお揃いだね!」と、見せたのですが、その日を境に、三人から無視されてしまう事態になりました。
理由がわからないので、とりあえずは、「なぜなのか」、勇気を出して聞くことから、始めましたが、
「え?べつに。」と、しらっと言うだけで、三人だけで、移動したりします。
がびょーん!!
一人、取り残されたわたしは、悲しくなりましたが、悲しみのあとには怒りがやってきました。
親に言うのも、なんだか違う気がして、苦行の日々を過ごしていましたが、違うグループの女子が気にかけてくれ、幸運なことに、孤立はしなくてすみました。
後日、わたしを無視していたグループの一員が、寄ってきて、なぜ、わたしを無視したのか、教えてきました。
「RIAちゃんのパパが買ってきたペンがレアペン
だったから、ボス子ちゃんが、『明日から、RIAちゃんを無視する!』って言ったの。ごめんなさい。」
彼女は、「わたしだけは、イヤイヤだったの。ほんとは、いい人だったのよ。忘れないでね」と、言いたかったのかもしれませんが、「調子のいい人」
としか、思えません。
悪になったなら、とことん悪道を小学生なりに突き進んで、欲しかったなぁと思います。どっかにぶち当たるまで。
もう、おわかりかと思いますが、このボス子ちゃんが大好きだったのが、「スヌーピー」だったのです。
わたしを傷つける人が好きなキャラクターなんだから、それなりに嫌なやつに違いない。と、子供なりの先入観で、見てましたが、大変、申し訳なかったと思います。(スヌーピーに対して)
スヌーピーの和訳を谷川先生がされていました。
スヌーピーや、スヌーピーの仲間たちが、話している言葉は、谷川先生の感性や、理解から紡ぎ出されるワードなんですよね。
子供ながら、スヌーピーって、偉いなぁ、弟子入りしたいなぁ、そんな、小屋じゃなくて、室内に入れるべきだよ!チャーリーブラウン!とか、常々
思っていました。
「いつかは、大きくなって、だれの助けも借りずに
人生と対決しなければならないのよ」
これは、ルーシーの言葉ですが、
「そうなんだ、、」と、さみしいですが、大人になるのは、子供扱いはされないこと、一人で立たねばならないのだと、合戦の前の武将のような気持ちにも
なりました。
スヌーピーから学んだことは、先入観から他人を
判断しないで、自分を知ってもらうよりは、先ずは、相手を知ること。必ずしも、理解、同感しなくても、(こういう考え方の人なんだな)と、片寄らない目で眺めることだなと思いました。
まさに、スヌーピーに対するわたしの、考え方の変化でありました。
谷川先生は、あの有名な「鉄腕アトム」の主題歌の作詞もされています。
ラララ 心ただしい
ラララ 科学の子
アトムの歌詞にも、現代に通じる、先生の願いが
ちりばめられています。
アトムは科学の結晶の子。
それは、ただしくあらねばならない。
また、科学を生んだ人間は、ただしく使わねば
ならない。
人間は「生きる」ために、生きている。
毎日、毎日、1日、1日が、
その人の全てなんだ。
誰も奪う権利なんかは、無いんだよ。
先生は、戦争を知っているから、戦争を知らない世代に、ずっとひらがなをたくさん使ったわかりやすい言葉で、平和がいかに大切か、書き残しておられたと思います。
戦争が終わって、平和になるんじゃない。平和な毎日に、戦争が侵入してくるんだ。
金言です。
明日は我が身かもしれないこの世界を
ズバリと書いておられたなと思います。
本当に、たくさんの、素晴らしい置き土産を
残していってくださいました。
谷川俊太郎先生のご冥福をお祈りいたします。