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やめられない、止まらない

ちょっとした休息時間に何をする?

最近では、スマホいじりが世間では主力なのか
電車移動では大半が、小さな画面向かっている

ネット検索くらいが暇つぶしにいいと思っていたが、
昨夜の見逃したドラマの続きを見たり、
料金を払うことで、映画も観れるらしい。

全く、便利になった世の中
なのに、なぜ急いで移動して、叱られて、、、
便利な反面、トラブルも多いようだ。

便利さは 身体が拡張したような感覚で
不便さは、身体が縮小したように感じる

遠くに離れた人と、なんらかの手段で繋がりたい
と人類は有史以前から強く望んだ

高速な移動手段のほか、移動しなくても言葉を伝える
手紙や電話、最近ではインターネット類の通信手段もある

便利さは、人間の叡智として身体が拡張した錯覚に陥る
あたかも、自身が大きくなったり、なんでも出来てしまう
力を手に入れたかのように

便利なうちは「よかった、よかった」で終わる
便利さを装って犯罪などに使われ始めると、
便利さは、不便さに変わる

不便になると、人間の叡智は急に縮小し始める
やらない方が安全な環境が出来てしまうと、
あたかも、身体が小さくなったかのように
日々の暮らしができなくなったりする

めんどくさい世の中になった
嘆いていても仕方がないが、

それは「依存」

あらゆるものに共通する原因は「依存」

ネットがないと生活ができないのは、ネット依存
車がないと生活ができないのは、車依存
いやいやそういう環境を、行政が求めているのでは?
行政側が、依存しているということ
その社会を、私たちは認めてしまった。

電車内の暇つぶしがスマホいじりだとすると
スマホを触ることに抵抗がないわけだから
それに、依存するシステムを作り始めても、おかしくない。
おもしろく、便利なものは、どんどん利用されていく
身体が拡張していくかのように

だがしかし、不便でコストのかかるものは、
身体が、縮小していくかのように、だんだんとなくなっていく

そこで、昨日の延長線上に居たい人たちは、抵抗し始める
昨日の方が便利だったと

今日、新しいスマホで、楽しい映画を見たとしても
昨日の方が便利だったと

今日、最新のEV車でお出かけしていても
昨日の方が便利だったと

依存し始めると、そこに向かってコンテンツが向かっていく
便利さを装って、手足をもいで、動けなくする
そして、もっともっと依存させるように

最近の商売は、まったく賢くやっている

あたらしいスマホが欲しくなった私である。


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