見出し画像

映画 「正欲 」をジェンダー学から分析

はじめに

どうもim(アイム)です。
試験期間が終わり、期末期間まで暇を持て余していたため、映画でも見てみようと思い、Netflixを開いて見てみた映画「正欲」。ジェンダー学の視点も入れて分析してみました。

正欲とは

この映画を見た中で強く感じたのは、
「正しい欲とは一体何だろうか。」という事。

性や欲に正しい形などないはずなのに、なぜ苦しいのか。
社会が受け入れられない人々の生きづらさに深く共感してしまいました。

私たちはいつの間にか名前のないものに名前を付け、定義し、囚われてしまっているのです。

地球に留学している感覚

私自身常日頃感じるのが、「馴染めない」という感覚。
どうして疑問を持たないのか、そんな事をするのか

他者が当たり前のように受け入れられる事柄が、私にとってはそのほとんどがおかしい事実で、なぜ皆気づかないのかが理解できないのです。

いうなれば、寄生獣を見分けられる猟奇殺人犯 浦上のような気持ちでしょうか。

日々の疑問

例えば、
・同じ服を着たがる人。
私は唯一無二の服を着たい。群衆の中に埋もれてしまう事の方が怖い。

・年上だから敬うべきという儒教的考え。
尊敬できる部分があれば、年に関係なく尊敬の感情を示せばいい。
尊敬の意を抱かせるのは無駄な月日ではなく、その人であると思う。

・上手くいってないのに結婚はした方がいいと思い込んでいる人。
自分と相手は違う人なのに何故同じ事をすれば幸せになれるなどと、確約のないことを言うのかが分からない。

・親族だからとプライベートに踏み込んでいいと思っている人。
パーソナルな部分に口を出す権利など基本他者にはないと思う。

・短いスカートをはくから痴漢されるのだという人。
「だから痴漢されて仕方ない」ではなく、「理性を抑制できない人がおかしい」というべき。どの様な服を着ても痴漢の被害にあうという研究結果もある。

・「男だから、女だから」という教えを何の疑問もなく信じ込む人。
基本すべての物事に疑問を持つべき。親のいう事を全て真実と捉えるな。

・誰でもできる仕事と分かっているのに、目的を聞いてくる人。
シンプルな矛盾

以上日々の疑問ですが、特に異質なものに対して異常な排除力をもち、同調する事を重要視する日本という国だからこその「生き苦しさ」もあるのだと思います。

何故私たちは違うままを受け入れられないのか

ではなぜ人は違うままを受け入れられないのか。
それは恐らく、「恐怖」と「安心感」から起こってしまうのではないでしょうか。

恐怖と安心感

まず初めに「恐怖」。
人は未知のものやそれまでの普遍を覆す概念を嫌い、怖がります。
どう対処すればよいか、安全なのか、それが一体何なのかが分からないからです。

そして次に「安心感」。
これは私がEp.1で紹介した安全圏の記事と似たような部分がありますが、
基本的には、自分が安心感を得られる場所から動きたくないがために、排除的指向にまわってしまうのです。

この二つに共有するものとしては、知る事の「怠惰性」がみられるのではないかと思います。違いを知る事と受け入れる事の点においては、日本はとても消極的な気がします。

Variability(異なる事)

ジェンダー学を学ぶ中で、私が皆さんに深く理解してほしいと思うのは、
性的指向の話に限らず、どの事柄においても違いや多様性は必ず存在するという事です。

重要なのはその事実に接した時、否定したり、知らないふりをするのではなく、その存在を認めるという事なのです。無理に理解する事も、同調する必要も、同じグループに加入する必要もありません。

ただそこにいるんだ(存在する)」という事を知る事が必要なのです。

自分は確実に存在するのに、ある日「貴方みたいな人は知らない」と言われたらどのような気持ちになるでしょうか?こんな風にストレートに言われることはないだろう、と思われる方いるかもしれませんが、

異性愛と男尊女卑をベースとして作られた、今や資本主義に占められつつあるこの世界は性的指向の多様性に対して、とても否定的なのです。

社会にとって貢献しやすい人材、社会が操作しやすいマインドによって多くの問題が生まれているという事を認識することは、これからの社会を生き抜く中でとても重要な要素となります。

最後にー映画の感想

※多少のネタバレを含みます。

この映画の中で特に気になった部分としてあるのが、主演の二人が結婚するという展開なのですが、最初は二人が成就して嬉しいと思ったものの、その意図を知って凄く悲しくなってしまったのです。

それはある意味、生きにくいこの世を生き抜くためのカモフラージュであり、仲間との団結でもあったのかもしれないですが、

私には彼らを結婚に追いやったのはheteronormativity(異性愛規範)の影響なのだろうなと思えて仕方がありませんでした。

結局自分達をありのままで表現することはできないのか、と。

皆さんはどのように感じたのか、ぜひ意見等お聞きしたいです。

ではでは皆さまおやすみなさい~



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?