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31cm切ったけどやっぱりヘアドネしないことにした話

この記事は、2ヶ月前に途中まで書いて、「いやーやっぱり批判されそうやから出さんとこ」って思ったやつ。下書きに眠ってた。

でも今日やっぱり最後まで書いてみたら、批判されてもいいやって思ったから公開。

ふとした思いつきで31cm切った私

そもそも「ヘアドネーション」って言葉、聞いたことある人はどれくらいいるのだろう?

インスタでアンケートしてみた

ヘアドネーションとは、小児がんや白血病などの病気、不慮の事故等で髪の毛を失った子どもたちに対し、医療用ウィッグを無償で提供する活動のこと。ヘアドネーションによる医療用ウィッグは100%人毛でできているため、見た目や質感がとても自然。髪の毛がないことで「人に会うのが恥ずかしい」「学校へ行きにくい」といった悩みを抱える子どもたちの社会復帰を手助けする、重要なアイテム。

ヘアドネーション美容院・サロンメディアHair doneige

私は、小さい頃に母がやってるのを見てたから、どんなものかは知っていた。

でもヘアドネーションするために「頑張って」髪を伸ばしてた訳ではなく、ただロングヘアのスタイルが気に入ってただけだっだ。

かなり長い

そして、切ろうと思ったきっかけも、寒くなってきて髪が乾くのに時間がかかるせいで、シャワーを何度も浴びたくなくなり、そのせいで走りに行くのが面倒だと感じていたからだ。

ハーフマラソン申込をきっかけに、本当に走る必要が出てきて、「髪のせいで走る気分下がるくらいなら切ってまえ!」って感じで切ることにした。

そんな時、ふと目にしたのがあるインフルエンサーの方がヘアドネーションをした、という動画だった。

「あ、私も結構長いし足りるんちゃうか!」という単なる思いつきでヘアドネーションすることにした。

思いついたら即行動するのが自分の良いところでも悪いところでもある。

1番早い予約を取って、2日後に切った。

あっさりバッサリ

思いやりか自己満か

予約する時にヘアドネーションできるか聞いて、「ヘアドネーション用に束ねて切ることはできるけど、団体には直接自分で送るのがスイスではスタンダードだ」と言われていたので、とりあえず31cmの髪をお持ち帰りした。

そこから、ネットで見つけた団体に郵送する、はずだった。

しかし、何かが変だと思った。

「寄付するために」寄付するのっておかしい。

私の頭に思い浮かんだのは、大金持ちが、有り余ったお金をどこに行くのかもわからん支援団体にとりあえず寄付して人々に賞賛されている姿だった。

私の肌感、日本よりもヘアドネーションが盛んなヨーロッパでは、髪をこんなにバッサリ切った時点で「ohh did you donate your hair?」と聞いてくる友だちが多くいた。

中には男の友だちで「去年ヘアドネーションのために31cmになるまで伸ばしていたんだ」と自慢げに写真を見せてくれた子もいた。(今はおしゃスキンヘッドやから衝撃やった)

とりあえず、「not yet、but probably I will」みたいな答えしてたけど、あまりにヘアドネーションすること自体が賞賛されるもんだから、余計になんか変だと思ったし、自分は「偽善者だ」という罪悪感が生まれてきて気持ち悪かった。

これこそ「よさそうに見えること」の価値観の押し付けなのではないか?と思って色々調べ始めた。

価値観の押し付けが生む社会の歪み

そんな時に出会ったのが、日本にヘアドネーションという活動自体を導入した方のインタビューだった。

このインタビュー記事の中で印象に残った部分をいくつか引用する。

社会の大多数に髪の毛が生えているから、マジョリティー側の人たちに、マイノリティの人が自分を寄せていかなければならない。この社会は非常に歪んでいますよね。
ヘアドネーションすらできない人に対して、その行為自体が、無意識に彼らに「髪の毛があることは素晴らしい」というマウンティングのジャブを打ち続けている。

JHD&C 渡辺貴一さん(2022)

髪の毛を病気で失った子どもが人毛のウィッグをもらって喜ぶ姿は想像がつく。しかし、その背景には髪の毛がないことで生きづらさを感じてきたことがあるのではないか。

いくら私が感じているヘアドネーションの「真実」を話したとしても取材者側は「ヘアドネーションはいいことだ」という答えを用意して取材に来ます。
「いいこと」を伝えるためだけの素材集めなので、髪の毛が集まっている段ボール、出来上がったウィッグ、できれば、かわいそうな髪の毛がない子の映像を押さえようとする。そして、美談が出来上がっていきました。

JHD&C 渡辺貴一さん(2022)

この部分も、最近私がここ最近の記事で書いてきたメディアによる情報の歪みと関連している。

そして重要なことは、ヘアドネーションは寄付したらそれで完結、というわけにはいかないということだ。

現在年間のウィッグの申し込み数は300ほどですが、予算的に年間150個の制作が限界です。正直、私たちの活動が社会に役立っているとは決して言えない数です。

JHD&C 渡辺貴一さん(2022)

実際、今は髪の毛が集まっても対応しきれずヘアドネーション団体が撤退しはじめています。その結果、私たちのところに送られてくる数が増えています。

JHD&C 渡辺貴一さん(2022)

寄付された髪は、そこからウィッグを作るという過程を経て初めて役に立ちうる。しかし、既に供給過多になっているということだ。

たとえ純粋な善意であったとしても、「寄付する」という行為だけで自己完結していたら、本質的には「人助け」をしている気分になっているだけなのではないか。

実際に私もそうだったから、これは自戒の念を込めて書いている。

また、この記事をやっぱり出そうと思ったきっかけは「本当に人のためを思ってヘアドネーションしたのであれば、この記事を批判する時点で矛盾が生じるのではないか?」と思ったこと。

(そもそも否定しているわけではないが)「ヘアドネーション」に対して疑義を唱えられることが、「ヘアドネーションをしている私」の否定にすり替わって捉えられてしまうのではないか、と思った。

これはヘアドネーションに限らず、他の「良さそう」なこと(昨今の様々な〇〇ニズムなど)にも当てはまると思う。

少しでもそれに対して批判的な意見があれば、あたかも自分の人格が否定されたように捉えて怒り狂う人がいるのではないか。

自分の行動や思想と”自己”を同一視することは違うと私は思っている。

自分の行動や思想は批判されたり、議論の余地があるかもしれないが、誰も私という人間自体を否定することはできない

私の髪の価値

色々調べてる中で見つけたのが、髪の毛をフェルト状のマットに加工し、油の吸着材として活用する「Hair Matters」という環境問題解決に向けたプロジェクト。

代わりにここに送ろうかな、とか考えてたけど、一晩明けてみたら「なんとかして自分の髪の毛を役立たせたい」自分が非常に滑稽に思えた。

普通に切ったら美容院のゴミだったただの髪に「せっかくだから」と付加価値をつけて、何とか「人の役に立ちたい」と思っていた。

その気持ち自体が歪んでるし、変だと思った。

てことで、何の歪みも生まない変な後輩にあげようと思う。

冒頭のアンケートのストーリー😅

ってのはさすがに冗談で。

結論、31cmわざわざ束ねて切ってもらったくせに、悩みに悩んだ末、捨てました。

この時は、ただただ「うひょー!私の髪の毛!長!」くらいにしか思ってなかったけど、後からほんとに色々考えさせられた。

捨てる時「もったいない」とか思ったけど、髪切って、一瞬で乾くようになって、走るのルンルンになった時点で大満足だ。

あくまで、これは私の決断。

次髪を切る時に、少しでもこの話を思い出してくれたら嬉しいな。

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Marea🇨🇭| ヨーロッパ移住計画
ありがとうございます🦉