「犬食べないで」人種差別って何なんだ
外の世界に出るまでは、自分の見える範囲の世界が「当たり前」で、それが全て。
当たり前だから疑問を持つことすらない。
それが、他の世界を知ることによって、自分(の国)にとっての当たり前は当たり前でないことを知る。
全てこっち来て実際に言われたこと。(全部スイスの人ってわけではない)
前者は、サッカーの中村俊輔選手への人種差別の話を思い起こさせた。
三年前に受けた授業でこのニュースを知り、衝撃を受けた。
その「犬食う」発言が自分の身に起こるとは思ってなくて、この何気なく発せられた一言から色々と考えさせられた。
本人は、人種差別なんて気は微塵もなく純粋な好奇心で聞いたんだろうけど、勿論良い気はしない。
アジア→野蛮的イメージを未だに持っていることに驚いたし、「アジア」で一括りにされることへの違和感、嫌悪感、はいつまで経っても心に引っ掛かる。
今まで私が関わってきた海外の子たちは、みーんな日本で出会った子たち。
日本のことをもちろん知ってて、「生活する前提」での日本の知識があった。
もちろん、日本に来て初めて知ること、経験することはいっぱいあったと思うけど、知識ゼロで来る人はほとんどいない。というか、大体日本が好きで来るんだからかなり詳しい。
こっちに来て、「現在の」日本の認知度の低さをひしひしと感じる。
「日本人」とは言わず「アジア人」って言われた時、当たり前だと思ってた「日本」が、外に出たらこんなにもちっぽけな存在で、「アジア」で一括りにされてるんだなーって知った。
自分が日本人であることを過剰評価?してた気がする。
日本から来たって言って嫌な顔されることはまずないけど、日本人ってだけで歓迎されることもない。無関心。
なーんだ、そんなもんなんだ。
二年前くらいかな。
英語勉強したくて、日常的に「英語で」発信される情報を意識的に取り入れ始めた。そして「日本語で」得られる情報がいかに偏っていて、限定的なものなのかを知った。
それは反対のことも言えるんだなーって、外に出て感じる。
日本で大概の人が日本語で情報得てるんだから、そら日本語で情報発信してるよね。
その情報を、わざわざ他の言語に訳してまで理解、または日本語を学んで理解しようとする人は、世界的に見てごくごく僅か。その極めてレアな海外の子たちと私は関わってきたんだ。
日本がいかに世界から隔離された特殊な空間なのか、外に出て初めて気づいた。
そして「アジア人」で一括りにされることへの違和感は、完全なる反面教師であることに気づく。
日本人だって、ヨーロッパの人のこと「西洋人」って呼ぶし、アメリカとヨーロッパまもめて「欧米人」って呼んじゃう。(アジア括りよりかなり広い)
なんなら「外人」「外国人」って言葉頻繁に使われるけど、思い浮かぶのはおそらく白人系で、何の悪気もなく「外人さん」と言ってる。
そして、日本で出会った留学生の友だちが日本語の「外人」も「ハーフ」も差別用語だって言ってたこと、思い出す。
上記2つの例では、日本人の中でも人種的(というよりも外見的)に「アジア」と「それ以外」を区別しているように感じる。
だけど他のアジアの国々への仲間意識があるかというと、正直そこまで無いと思う。我々は「日本人」なんだ。
この国では「日本」と「それ以外」を「外人」と言う言葉で区切って、二項対立的に物事を捉える傾向が非常に強い。
なぜなんだ???
他国の人々との宗教的結びつきが薄いから?
(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、そういった世界規模のコミュニティに属さない)
日本語しか使わないから?
(「日本人は無知」発言に繋がる)
島だから?
(結局は「島だから」こその特異な歴史がある)
日本人みんな、人種差別(レイシズム)って言葉は聞いたことあるけど、遠い世界のことだと思ってる。
逆に、留学生たちの間では、その国籍や人種であること皮肉ってネタにして「お前レイシストや!」みたいな感じで笑ってるのも耳にする。
人種差別とは何なのか。
答えは、わかんない。し、無いんだと思う。
でも、この疑問が自分の中に寄生してモヤモヤする。
みんな、日本のこと、知らなさすぎておもろい。
わたし、世界のこと、知らなさすぎて恥ずかしい。
それが良いとか悪いとかじゃなくて、この事実を外の世界から認識できたことに意味があると思う。
いわゆる、グローバルな視点?
ありきたりな薄っぺらい言葉でまとめたくないから自分なりに換言するとすれば、
みたいな。
この記事を読んで少しでも心に「モヤモヤ」が生まれたら、いいな。
いいのか?は、わかんないけど、意見、感想、反論、聞かせてほしいな。