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夢が無くても、夢を諦めても、夢を追い続けてもいい
投稿コンテスト「かなえたい夢」には少々逆らったタイトルだが、これが私の思いついた「夢」に関する思い。
「夢が無くても、夢を諦めても、夢を追い続けてもいい」ってことを中高生に伝えたい。
「諦めてもいい」とか言ったら、中高の進路指導の先生に怒られそうだけど、こんな単純なことを教えてくれる大人は今までいなかったから、私なりの「夢」に対する考えを綴る。
第1章 夢は無くてもいい
小さい頃から「大きくなったら何になりたい?」「将来の夢は?」と、大人から「夢を持つこと」を推奨され、「夢を持つこと」が素晴らしいんだ!という固定観念を植え付けられてきた。
でも、この日本での「当たり前」がいかに特殊で、私を縛り付けてきたかに、スイスで生きることで初めて気がついた。
「夢を持たない」のを良しとすることで自分の可能性はもっともっと広がるかもしれない
この一年、とにかく色んな人に「卒業したら何がやりたいの?」「将来の夢は?」と、聞きまくった。
色んな国の、色んな年齢の人に、だ。
そして、1番多かった答えは
I don’t know.
学歴どうこうの話でもないが、世界ランキングトップクラスのオクスフォードやケンブリッジ、ETHの友だちに聞いても、だ。
もちろん、具体的に「これがやりたいんだ」って人もいたけど、「将来?考えたこともなかったわ!」みたいな人もめっちゃ多い。
それも、日本ではあり得んレベルで。
例えば、「卒業したら一旦何かしらのインターン(未定)でお金稼いで、その後ギャップイヤー取って南米を旅するつもり!」みたいなことを卒業2ヶ月前に言ってたり(この種の答え、何なら定番やと思ってる)
社会人の友だちで、「彼女が博士のポジション取れたから自分は仕事辞めて移住してきた!今はバイトしながら仕事探してる」とか。
(このケースには2点注意書きがある。①スイスの博士は年収1000万円レベルもあり得るwell-paid jobだってこと、②ヨーロッパ内での移住は日本人に比べたら超簡単なこと)
この質問をしてる中で、友だちから言われたことがある。
YOU ARE SOOO YOUNG!!!
why are you in such a hurry to live?
…たしかに。
私に関しては、留学前に嫌というほど「留学で何がしたいの?」とか「将来はどんな職業に就きたいの?」とか面接やら友だちやら聞かれまくって、それっぽい理由を準備して留学に来た。
でもスイスに来てみたら、その「夢を持つべき」観念自体がすごく日本っぽいんだってことに気づいた。
正直なところ、「ヨーロッパに住んでみたい!」という漠然とした興味が真っ先にあり、後付けで「スイスで〜、この大学で〜をしたい」があった。
でも、人に聞かれたらカッコつけて「私は〜がしたくて、〜だからスイスなんだ!」と、あたかもそれっぽく語ってた。
夢は別に職業じゃなくていいし、遠い将来じゃなくてもいい。そもそも夢って概念を持たなくても色んなことに挑戦したらいい。
第2章 夢を諦めてもいい
日本の教育は、計画的に将来のことを考えさせ、準備させるのが特徴だと思う。し、その計画性は日本人の強みだと思う。
その反面、子どもの視野を狭めてしまう仕組みでもあるように思う。
例えば、中学から高校に上がる時点でスポーツ推薦を選んだ場合、そのスポーツを辞めることは、非常にハードルが高くなる。
「自分にはそれしかない」
「それをし続けることが1番なんだ」
あるいは、高校で文系・理系を決めた時点で、自動的に受験する大学、その後の職業の方向性がある程度決まる。
でも、本当にそうなのだろうかー
私の人生のバイブルは、世界陸上で日本人初スプリント種目でメダルを獲得した、元4パー走者の為末さんの『諦める力』という本である。
主に、スポーツ選手について書いてあるのだが、部活・命⭐︎みたいな生活を送ってきた私からしたら、一つ一つの言葉がグサグサ心に刺さりまくり、整骨院の待合室で大号泣した。
競技スポーツを引退した今、人生に置き換えて読んでみると、また深い。
何かを真剣に諦めることによって、「他人の評価」や「自分の願望」で曇った世界が晴れて、「なるほどこれが自分なのか」と見えなかったものが見えてくる。
続けること、やめないことも尊いことではあるが、それ自体が目的になってしまうと、自分という限りある存在の可能性を狭める結果にもなる。
前向きに、諦めるーそんな心の持ちようもあるものだ。
始めるのは勇気がいることだが、辞めるのにはもっと勇気がいる。これは私の経験。
積極的に「夢を諦めてみる」ことで、新たな夢が生まれるスペースが空くかもしれない。
第3章 夢を追い続けてもいい
「おいおい、ついさっきの発言と矛盾しているじゃないか」と言われそうだけど、夢を追い続けることも素敵だと思う。
私自身、「夢なんか無いわー」って思うこともあれば、「やっぱり私は宇宙に行きたい」って思うこともある。留学する理由には直結してなくても、自分の根底にはなんやかんや宇宙への憧れがあり、その気持ちが自分をココに導いてきた。
はたまた「スイスで自給自足生活を送りたい!」とか、「色んな言葉で世界中の人と喋ってみたい!」とか漠然とした夢も、ぷかぷか頭に浮かんだり。
夢のことを考えてたら、『アルケミスト』に出てくるメッカへの巡礼を夢見る商人のことを思い出した。
彼は、メッカに行くことをずーっとずーっと夢見てる。
しかし、実際に行く機会を得たとなると、「夢を失うことが怖い」「夢見続けている時間が幸せなんだ」と、ただ夢を見続ける道を選ぶ。
少年に、「なぜメッカに行かないのか?」と聞かれた商人はこう答える。
メッカのことを思うことが、わしを生きながらえさせてくれるからさ。もしわしの夢が実現してしまったら、これから生きてゆく理由が、なくなってしまうのではないかとこわいんだよ。
わしはただメッカのことを夢見ていたいだけなのだ。夢を見ている方が好きなのさ。
夢を持つことは、生きるエネルギーを与えてくれる。
そして、「夢を叶えるため」の頑張る理由が生まれ「やるべきこと」が明確になる。
しかしそれは、ある意味残酷でもある。
わしは人生にこれ以上、何も望んでいない。しかし、お前はわしに今まで知らなかった富と世界を見せてくれた。今、それが見えるようになり、しかも、自分の限りない可能性に気づいてしまった。そしておまえが来る前よりも、わしはだんだんと不幸になってゆくような気がする。なぜなら、自分はもっとできるとわかっているのに、わしにはそれをやる気がないからだ。
私はこのシーンがかなり衝撃的だった。
「夢を叶えたい」のに「そのためにイマイチ頑張れない自分」というジレンマ。
将来の話になると、なんかモヤモヤする心はここから来ているのかな。
例えば、「留学はしたいけど、まだやりたいことが具体的に無い」
大学1、2回生あるあるだと思う。
「やりたいことが具体的に無い」=「留学はまだ早い」ってゆう「今頑張らない」の正当化がここには存在する。
これは、「夢を叶えたい自分」と「頑張れない自分」のジレンマ回避のために、「夢が無い自分」を使っている。
この言い訳が成立しないってことは、第1章の「夢は無くてもいい」で論破される。夢が無いことが、挑戦しない理由にはならないから。
「夢がある自分」を認め、受け入れた上で大切にしたいのは「夢を追い続けてもいい」ってこと。
商人のような、「夢を失うことを恐れて挑戦しない」って人は少ないかもしれないが、なんやかんや「できない」ことを正当化して、夢を実際には叶えようとしてない人は多くいると思う。
やろうと思えばやれることはいくらでもある。
そして、もし夢が叶って(しまった)としても、「夢は無くてもいい」し、新たな夢が生まれるかもしれないから、心配する必要はない。
夢を追い続けることは、面白い人生を切り拓く原動力になる。
おわりに
『アルケミスト』は、留学前に恩師にプレゼントしてもらった1冊。
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旅のお供に電車でもう一度読み返してみたら、また新たな発見がいっぱいあった。
読んだことない人も、読んだことある人も、2025の1冊目にどうでしょう。
追記: この記事が、どこかの中学校・高校の学級新聞とかで紹介されたら嬉しいな、なんて。今思いついた夢!
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