銀の匙式読書をした結果

銀の匙というワードで引っかかって頂いた方はお察しの通りかと思う。これは、灘校でかつて行われた伝説の国語の授業のことである。が、当該の授業のことは割愛する(めんどくさいので)

実は、灘校の話を知ってから知らずか、本を読んでいて知らない言葉に出会ったら、その言葉に関する本をさらに読む、ネットで画像を検索してみたり、一つ一つに引っかかりながら進めていく、ということは行っていた。ただ、これはタイミングの問題で、ひょっとすると無意識化でかつて目にした銀の匙の授業の話が、行動に影響していたのかもしれない。

今日の話だ。
今読み進めようとしている本は以下の本であることを念頭に置いていただきたい。
「植物の辿ってきた道(西田治文著・NHK BOOKS 819 1998年)」

amazonから届いたので読み始めた。
★これが15ページ読んだ時点で本記事(後述する)の状態になっている。
たった15ページでひっかかりまくっているのである。

この本を読み始めたきっかけは「サピエンス全史」を読み始めたことだ。冒頭から「分類学」についての記述があった。「分類学とは何だろう?」と思った。そこで分類学の本を探してみた。
名著としてヒットしたのは「リンネ著 自然の体系」であったが、古すぎるのと、日本語訳が部分的にしか存在せずに、泣く泣くあきらめている状況だ。その代わりにヒットしたのが「植物の辿ってきた道」という、植物分類の道のりに関する本だったのだ。
amazonから届いてすぐ「植物の辿ってきた道」を読み始めた。

読み始めてすぐに、知らない単語のオンパレードであった。
・みづほの国
・ミジンコウキクサ
・ナンヨウスギ
・アローカリア
・アラウコ族

上から順に、ひとまずググりながら読書を進める。みづほの国については、ぼやっとしてよく覚えていない。ミジンコウキクサは、なんか緑のやつである。ナンヨウスギ、アローカリアは恐竜図鑑の背景に描かれているような木。ナンヨウスギは生きている化石と呼ばれているのだとか。裸子植物としてのイチョウもそうなんだって。イチョウの件は本書にあったことだが驚いた。生きた化石と言えばシーラカンスのことを指すのだとばかり思っていたからだ。

さて、より引っかかったのは南米チリの先住民「アラウコ族」である。※この言葉は私のパソコンに単語登録した。
本書は植物の本なのだが、本書には「アラウコ族が実を食用にしていた」という記述のそばに「スペイン軍の侵攻に対して強く戦った」旨の記述があったので気になったのだ。
植物の本だからアラウコ族については知らなくてもよい、というのが通常の読み進め方だと思うが、日本語の文章においても知らない単語は英単語と同じである。急がば回れの精神で寄り道をする。読書中だが以下のサイトなどへ脱線した。

・amazon 「アラウコ族」「アラウカノ族の如く」「チリの歴史」等で検索→あまりヒットしなかった。
後は下記のサイトを訪ねた。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/chile/index.html

↑外務省 チリのページ

地元の図書館のデータベースではヒットしなかった本がどうしても気になったので、国立国会図書館のデータベースを調べようとした。
今日は正月のためか、ログインできないようだった。

↑上記は、「アラウカノ族の如く」を著した天野芳太郎氏の故郷のページ。彼の功績を地元の偉人伝として電子書籍マンガにして掲載してあったので冒頭を少し読んだ。

アラウコ族は、1533年前後にスペイン軍の侵攻に対して猛抗戦した先住民であった。その時の様子は「アラウカノ族の如く」を読みたいのだが、いかんせん国立国会図書館など、すぐに手の届かない場所にあり、上に張り付けた連載エッセイを読むことで、当時の戦争の流れを少しばかり把握した。
アラウカノ族の如くを著した天野芳太郎氏は、チリで財を成し、考古学博物館?を自ら創設するなどその分野の発展に寄与した人物である。また、彼の発掘を手伝った知人の知人には渋沢栄一の孫がいたという。←マンガで仕入れた情報

外務省チリのページかどこかで、建国してからの経過年数を見た。「日本は建国何年だっけ?」という疑問がわいたので日本史に飛んだ。まず記憶をたどるのだが「日本国」「大日本帝国」いつからが日本の建国なのかが定かではなかった。さかのぼること2600年ほど…神武天皇のころまでさかのぼることになった。神武天皇の本を注文した。

先述したアラウコ戦争が起きたとき、1533年の日本は何をしていたのかと気になった。まず思い出してみるのだが1600年関ケ原の合戦が限界であった。
それから70年前は何時代なのかと思って調べてみると「安土桃山時代」であった。妻に「日本史の教科書持ってない?」と聞いてみた。当然ながら答えはノーであった。その後しばらく日本史年表をググってみたが、一番近くで1953年ごろ、川中島の合戦(上杉謙信・武田信玄)であった。さすがにこのあたりの詳細は別の機会に学びなおすことにした。日本史年表は早稲田大学のページを参考にさせていただいた。

ここまでは何も参照せずに振り返っているので記憶があいまいなのだが、チリ経由、アラウカノ族との一戦経由で日本に来た人物が2人居た。ということが印象に残っている。

ところで今読み進めようとしている本は何だったろうか?

「植物の辿ってきた道」である。
この本の15ページまで読み進めるのに私がたどってきた道は、ネット上には限られるのだが、非常に寄り道満載である。

見知らぬ植物の画像。外務省のページ。amazon、Wikipedia、男鹿市のページ、マンガを読んで、日本史に飛んで、記憶と、妻と、早稲田大学のページと、まあよくわからないのだが飛びまくっている。

それで、アラウコ族について何が分かったのか?
情報は団子のようになっており、しかもアラウコ族は今読み進めた範囲では、何かの木の実を食用にしていただけの民族である。その民族について調べることが、この本を読み進めるうえで必須かと言われれば、そんなことはない。しかし、最近読書をする中でその「素通り読書」を許さない自分が出来上がってきている気がするのだ。

ただ、私は一つの単語「アラウコ族」について調べる中で、少し長い旅をしていたような気がする。実際に会ったこともない、見たこともない、行ったこともない国の知らない民族について知るためには、最低限でこれくらいの寄り道が必要なのだと思う。

ただ、200ページを読破するよりも、15ページまでをゆっくりと、ひっかかりを大切に、疑問を逐一解消しながら進んでゆく。

そういった読書をしていると、1冊の本は「面白いか面白くないか」ではないことに気づく。
「本は素材なのだ」
「日本文も外国語文と同じようなものである」ということに気づく。

知りすぎたことを読んでいるだけではつまらない。「知らない言葉だらけ」でも面白くない。では、少し遠回りをして「本の中で出会った知らない言葉に関する本や画像・情報や音楽・動画や資料」などを経由することにより、イメージを蓄積していく。未経験のことを、疑似体験していく。この過程を経ることで、もしかするとたいていの本は面白くなっていくのではないか。
本を読み進められない時の多くは「よくわかんね」である。

「よくわかんね」を「ちょっと知ってる」に変えながら読み進めると、1ページ当たりの情報量や疑似体験量は、連鎖的に膨大なものになりえるのだ。


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