ケストナー 『飛ぶ教室』
児童文学を読み直して、時間や歴史をキーワードに考察してみたい。
シリーズにしていきたいと思います。
第一回は、ケストナーの「飛ぶ教室」にしました。エンデかケストナーかという、ドイツ児童文学の巨匠。
僕にとっての作品の要点:
題は、作中のこどもたちが作る演劇の題のこと。ギムナジウムのこどもたちの喜怒哀楽をめいっぱい描いた作品。魅力的な大人たちがそれを見守る。自身の体験を思い出しながら。
こどものころ読んだと思ったけど、どうも記憶に薄い。もしかしたら読んでいなかったのかも。いずれにしても、今回読んでたいへん良かった。
心を動かされた言葉を引用してみたい。
物語には、作者が生きた時代のドイツの空気感がある。登場するこどもたちは、厳しいエリート教育を施すギムナジウムにありながら、心を許せる大人に出会う。
物語を貫く「こども観」は、90年前の作品とは思えないくらい、今風だ。個々のこどもたちを、「小さな大人」ととらえるような、個性の尊重が作品の根底にある。
こどもたちは、それぞれに痛みや重さを抱えている。それでも、タフに生きろと、そんなメッセージが作品には随所にちりばめられている。
ドイツではヒトラーが首相に指名される年に、この作品は誕生した(1933年)。ナチスドイツとケストナーは、想像通り、緊張関係にあった。ただ、トーマス・マンやヘルマン・ヘッセらのように政権に目の敵にされたわけでもないらしい。
ナチス時代を、ケストナーは自身のバランス感覚を持って、ずぶとく生き抜いた。
ケストナーのこどもを見る目は、あたたかい。今風の個性尊重の視点はあるが、明確に違う部分もある。それは過保護じゃないということ。こどもはそれぞれに越えるべき壁があって、壁の種類は千差万別。金持ちにも貧しいものにも、壁がある。
壁があるという事実は平等。現代の教育で重視される「みんなおんなじ」式の平等性などは、1930年台のドイツでは甘すぎて理解されないかもしれない。
ケストナーは、お前たち、それぞれの壁を、それぞれのやりかたで越えなさい、と語りかける。きっとできるから、と。
大人にできることは、単純明快。こどもたちの現状に、心をよせること。こどもたちの状況を深く理解すること。
大事なのは、アクティブラーニングをさせるとか、道徳の評価をするとか、そういう問題ではないんだぜ。歴史総合とか探究とかいう前に、まずは目の前のこどもたちの時代、時間軸を見るんだぜ。
もっとも大切なことを大人が忘れなければ、こどもは一人でもちゃんと大きくなっていくんだぜ。
僕は、この作品に出てくる「正義さん」や「禁煙さん」には、こんな感じで軽く説教された気になりました。
「正義さん」も「禁煙さん」も、少年たちと同じギムナジウムの卒業生。
大事なのは、自分がこどもだったころの辛さや苦しさを忘れないこと。
自分の人生を、こどもたちの人生に重ねること。
そんな感じの本でした。
何となく、作中の大人たちには、ゆたかな「歴史感」があるんじゃないかという気がする。
彼らは、自分が歩んできた人生(時間軸)を基盤にして、教育を語る。
「正義さん」や「禁煙さん」は、自分の人生を作中では何度かふりかえる。それと同じように、彼らに歴史の話を聞いてみたかった。たぶん、抜群におもしろいはず。
自分の歩んだ距離や、過ごした時間を軸に、言葉を選んでいく。
「飛ぶ教室」の大人たち。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?