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佐藤卓己 『あいまいさに耐える ネガティブ・リテラシーのすすめ』

僕にとっての本書:
ネガティブ・リテラシー、「消極的な読み書き能力」。情報にあふれた世界。情報の真偽を見極めることの困難さ。教育で乗り越えることの難しさ。だから、「耐える力」が必要。ネガティブ・ケイパビリティーとの共通点。


2024年の書。
著者の佐藤氏はメディア文化学の研究者。
世論(public opinion)と輿論(Public Opinion)のちがいを、研究キャリアで一貫して大事にされてきた方。世論は「空気」、輿論は「意見」。健全さをともなった輿論を土台に、デモクラシーは成り立つ。

この輿論が醸成されていくためには、ひとりひとりがネガティブ・リテラシーを身につけることが求められる。

ネガティブ・リテラシーは、あいまい情報をうけとったときに、あいまいなままにとどめ置き、その不確実性に耐える力。AI時代に求められる人間力。

結論を出さない。1か0か、黒か白かを断定しない。あいまいなままにとどめおく。コンピューターが苦手とするスキルですね。

とくに表題に関わっているのは、第6章の内容でした。

この第6章の内容には、考えさせられました。特に僕のような教員には、せまってくるものがある。

以下は、備忘のために記す、僕の理解です。僕の観点から6章を読んでいますので、割愛された議論もたくさんあります。

情報は、そもそも正しいものではない。「情報」はもともと軍事用語。戦時下の報道などは、「大本営発表」。どうやって国民を納得させるかが、先にある。マスメディアはあくまでも切り取って情報を提示する。批判して精査するのは、受け取りての問題です。

では、インターネットが発達してSNSの時代に入り、情報はどうなったか。膨大になりました。受け取り手の負担は大きくなる一方。

ただ、情報のひとつの特徴として、「正しい情報」や「事実」は、時間が明らかにすることが多い、ということが挙げられます。だから、受け取り手は辛抱強く待つことが大事になってくる。

ここに、ネガティブ・リテラシーの意義があるのだと思います。

では、ネガティブ・リテラシーの重要性について書かれるときに、それはどうやって身につけられるのか、が論点になると思います。

著者は、このことについてまず、教育で情報リテラシーを習得することについては、それは相当むずかしいことを示します。これが僕にはショック!

それは、はやくも1924年に、ウォルター・リップマンが指摘したことでした。以下のような論点で、彼は教育にメディアリテラシーは荷が重いことを述べた。

「現代世界の諸問題は、教師たちが把握し、その実質を子どもたちに伝えるより早く現れ、変化するからである。」

教師や学校は遅い。
学校はいつも遅れてしまう。

50代の教師はインターネット黎明期に学生時代を過ごしました。では20代の教師がこの先輩方と同じ感覚なのか。

また、メディアリテラシーについては、メディアを比較して吟味し、現代を読み解くツールにするのが理想だと思います。つまりクリティカルシンキング(批判)が求められる。

しかし、メディアリテラシーは、多くの場面で、「メディアを非難する力」のように曲解されてしまってもいる。クリティカルが本来もつ「批判」という意味ではなく、攻撃のようなニュアンスにおちてしまっている。

学校では、情報を読み解く力、メディアリテラシーを育成することは難しい。

そうですね、僕も、たぶん、そうだなと思います。

ただし、著者の佐藤氏は、こうもおっしゃいます。

 教育は社会の「速度」に追いつくことはできない。いや追いつこうとするべきでもないのである。教育が10年後や20年後の人間的成長を見すえた営為であると考えるなら、「ファスト教育」は教育ではなく反教育を意味するからである。

第6章 ネガティブ・リテラシー、より

これは、帚木氏の『ネガティブ・リテラシー』の中で論じられていた「教育とネガティブ・ケイパビリティー」という章の内容ともあい通ずる部分がある考え方だなと思いました(いつかそのことについては書きたいと思っています。)

もっと早く読めばよかった。いや、でも2024年の出版か。いま読めてよかった。

これを読んでひとつ今までとちがう視点を得られる教師、生徒、保護者は多いと思います。

あと、付け足すようですが、もしこどもに正誤の判断をいそがない、ネガティブ・リテラシーやネガティブケイパビリティーを備えたコーチがつくならば、学校よりも有効にこどもの成長に関わることができるとも考えました(僕はコーチングを学習している40歳の私立校教師です)。

こうした能力は、教えられていくもの、というよりはたぶん、近くにいる大人の考え方を吸収するように、こどもにうつっていくもの、でもあるような気がするのです。その大人の候補として、家族が最初にあるとしても、コーチは意外とそのポジションに近いのかもしれない。


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