教育と宗教と自由と
驚いた事件がありました。僕の周囲では話題になっていないのですが、書いてみたいと思います。
ニュースの内容は、アメリカで学問の自由に関する議論が起こっているということ。僕はある人のTwitterの記事でこのニュースを知りました。
昨年2022年の10月に起こった事件がその発端となっています。
以下がニュース記事です。
ショートにまとめたものでしょうか、10日ほど前の記事ですが、こういうものもあります。
このニュースがどの程度、議論をよんでいるのか。
宗教をめぐって、歴史や科学の知の伝達のあり方は、アメリカでは何度も議論になってきていると思います。もう本当に、それは進化論の時代からずっとそうなんでしょう。だから、アメリカのみなさんにとって、本件が関係者以外を巻き込む大ニュースには、本来はなり得なかった。言い方は悪いかもしれないけど、「ああ、またそういうのか」と感じた人もいたのではないでしょうか。でも、今回のこの議論は、時間がたつほどに熱くなってきているようです。
議論が活発になったきっかけは、2023年1月、ニューヨークタイムズに記事が書かれたことだと、BBCのニュースが指摘しています。
概要をまとめておくと、昨年の10月、world art historyのクラスを担当する講師が、ムハンマドの肖像画を講義中に映しました。これに対し、学生がその講師の行動を「イスラモフォビア」だと反発し、団体の支持を得て大学に強い抗議を起こした。
結局、講師は次の契約の更新ができず、この事件のあと、解雇が決定しました。
ご存知の方も多いと思いますが、ムハンマドの顔を描かない、また、見てもいけない、というのはイスラームの「偶像崇拝の否定」という基本的な教義からくる宗教上の慣行。
しかし講師は、軽い気持ちでとりあつかったとか、不注意でうっかり見せた、ということではないようです。
この講師はこういった宗教上の慣行について、熟知していた様子です。肖像画を見せる前には2分にわたる注意、具体的には特に信仰上きつい場合は見なくてもかまわない、席をたってもかまわない、という趣旨の説明を行なっています。
ではなぜ講師は敢えてムハンマドの肖像画を見せたのか。動画のインタビューではご本人の言葉で、事件の全体が説明されています。
さて、僕の考え、を書いてみたいと思います。上の動画を見てみると、講師はとても真摯です。
そして彼女の真摯な説明が、人々に好感され、彼女を庇おうとする大きなうねりができてきた、そういう状況なのではないかと思います。イスラモフォビアという非難は見当違いだ、と。ちなみに、僕が本件を最初に知ったツイートでは、この講師の真摯な対応などの話はすべて省かれていました。
僕は講師に強い共感を覚えました。
というか、実は僕もそれをやったことがあるのです。僕の場合は何の事件にもならなかったし、日本の地方都市における小さな出来事です。
ただ、その授業を受けたイスラーム教徒のある生徒は僕はのことをたいそう恨んだのだと、後で風の噂で知りました。
彼女ほど事前の詳細な説明を生徒にできていなかったことは反省点ですが、それができていたら恨まれなかったのかな、答えはわかりませんね。
僕がイスラーム教について授業するときに、忌避される肖像画を使う理由は、歴史の授業ではできる限りどの宗教もフラットにあつかわれるべきだと思うからです。
もちろんそれに対して、
「いやいや、それはわかるけど、そうとう嫌がる人もいるからやめた方がいいでしょ」
とか、
「それがなくても、講義(授業)の全体は成り立つでしょ」
という批判があると思うのです。つまり、わざわざ見せるなよ、見せなくてもあんまり結果は変わらないだろ、という類の声。
この講師は、a world art historyは、歴史における美術の多様性を学ぶための講義で、そうした素養を学生に涵養していくものだ、といいます。授業で、彼女があつかう絵画は、テクストにかわる彼女にとっての第一のエヴィデンスだともいいます。美術史家として真っ当な見解だと僕も思う。
そうだよな、だから、使わないといけないんだよ、わざわざ見せるな、というのは違うのだよ。
そうじゃなくて特定の絵画を、わざわざ講義から省くことはできないんだよ。
問題になった行為をしなかったならば、彼女は自らの講義の全体像を、自ら毀損することになった、ということなのでしょう。この問題になった回以外の、すべての講義の価値にも関わる問題だった。
アメリカ国内はもとより、元祖自由の国、フランスからは特に彼女を応援する声が強いようです。
事件の記事をよみ、彼女のインタビューを見て、とても感動したという話でした。宗教と自由と教育とアメリカと。
そして思う、僕はこれからどうするべきだろう。結論は今日は出ないかな。このことを知って今後も授業で肖像画を使い続けることが、少し怖くなっている自分もいますね。
基本的には、この件以外にも、言えないことってそれなりに多い仕事ですから、僕の授業や講義の全体像は、いわば最初から毀損されているわけです。僕に彼女と同じ行動ができるかといえば、考えさせられますなあ…コロナ対応とかも、言いたいことが1000個くらいあるからな…
しばらく考えよう。
僕のかわりに戦ってくれている人への敬意は忘れません。
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