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自信を持ちましょう

日本では東日本大震災や、熊本地震、西日本豪雨などでも悲しい被害を受けました。しかし、それを他人のせいにしたり、ときの政府に復興・復旧を求めて抗議をするといった行動はみられません。

大きな災害で人々がパニックになったり、大規模な抗議のデモが発生しないことを海外は驚きをもって伝えています。

なぜ、避難所はこんなに落ち着いているの?

なぜ、商品の略奪は起きないの?

なぜ、こんなに助け合えるの?

わたしは、これは複数の要因があると感じています。一つは、「和」を尊ぶという教育が浸透していて、一人だけ異を唱えることをよしとしない空気があると思います。一種の我慢です。もう一つは、戦前にもあった「欲しがりません、勝つまでは」にやや似た感情がいまだに染みついている。確かに自然には勝てません。それは人が起したことではないから。あと一つは、他人の目を気にする気質です。自分だけとか、わたしだけとか、個の欲求を抑える感情があって「みんなで」という「和」を意識していると感じます。

これは日本的には美徳と理解する人が多いのではないでしょうか。

わたしもそう感じている一人です。でも、それだけでいいのでしょうか?

自然災害は本当にしょうがないのでしょうか?海岸で津波を防ぐ堤防は十分だったのか?川が決壊しないようにちゃんと堤防を作ってくれていたのか?災害を受けるたびに学校などの避難所で肩を寄せ合うのは本当に仕方ないことなのか?

これは人々の考え方の根底にある教育にあるのではないかと思うようになりました。例えば日本と同じように地震や火山噴火の被害があるイタリアでは、家族ごとに独立した避難住居が提供されることが法律で定められています。被災住宅の再建にも国が十分な支援をしています。

日本の災害支援はほんのちょっぴりです。もらえても100~300万円ほどでしょうか?こんな支援で家を建て直すことなんてできません。これが当たり前と思いこまされているのではないでしょうか?

ある意味、人の好さに政治家や政府は付けこんで、ほんのちょっぴりの支援で終わらせているだけではないでしょうか。

日本で会社員として働く人は多いと思います。年収480万円だと、およそ50%は税金や社会保障費で徴収されて手元に残るのは224万円です。

決して少なくない金額を政府は徴収しておきながら、災害発生ではほんのちょっぴり雀の涙ほどしか補償せず、あとは自己負担となっています。おかしくないですか?収入の50%も払っているのに。災害を受けた人が元の生活を再建する費用をすべて国が助成しても罰は当たりません。

小学校や、中学校で、税金がどれくらい徴収されるとか、災害が起きた時にどれくらい補償してもらえるか学んだ記憶がありません。政府にとって不都合なことは教えない、隠しておいて、「和」を大切とか、これが当たり前とかいう社会通念を押し付けているだけじゃないのでしょうか。

大人は自ら事実を調べ、それが妥当なことなのかを知ることができます。しかし、子どもたちは大人から教えられたことが常識だと理解していきます。あらためて教育の大切さを実感しています。

不満があってそれが正当なものならばその意見を大きな声であげていいはずです。自信を持ちましょう。


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