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【閑話休題#40】里見弴『道元禅師の話』

こんにちは、三太です。

今回はこちらの作品を読みます。

読むきっかけとなったのは、吉田修一さんの『素晴らしき世界~もう一度旅へ』に次のような記述があったからです。

最近気が向くと、ふらりと鎌倉を訪ねる。
きっかけは、里見弴の『道元禅師の話』という岩波文庫の復刻版を読んだからである。
(中略)
この里見弴、私が好きな作家を尋ねられると、川端康成とともに必ず挙げている小説家なのだが、いかんせん食いつきが悪い。相手がノーベル賞作家の川端なので分が悪いのは分かるが、にしても、反応が悪い。

『素晴らしき世界~もう一度旅へ』(p.129)

吉田修一さんが川端康成を好きなことは別のエッセイで読んだことがあって知っていたのですが、里見弴についてはこのエッセイで初めて知りました。
もうこれは読むしかないなと。
それに自分ルールとして月に一冊岩波文庫を読むということを課していて、ちょうどそれに合致するなということもありました。


あらすじ

本書は昭和27年(1952年)、道元禅師の700回遠忌の記念事業として執筆をされました。
道元禅師の人生をその誕生のときから最後まで詳述していきます。
「道元なんてほんとうはあまりよく分からない」という人目線で書かれているのが特徴的な本です。

感想

自分自身はあまり道元や禅というものについては詳しくありません。
ただ、全く興味がなかったのかというとそうでもなく、全盛期のシカゴ・ブルズのヘッドコーチであるフィル・ジャクソンが禅の考え方をコーチングに取り入れたという話を知っていたり、学生時代には禅寺をめぐったりというぐらいのことはしていました。

左がマイケル・ジョーダン、右がフィル・ジャクソン
                 建仁寺の双龍図

でも、本書は仏教用語が出てきたり、そもそも引用する文章の漢字が難しかったりするので、正直スラスラと読める本ではなかったです。

けれども、里見弴はそんな読者に寄り添うようなポジションで本書を執筆しています。
例えば、それは里見弴の言いかえなどのわかりやすさに表れていると感じました。
道元は名門貴族の出で、いわゆる「いいとこの坊っちゃん」(p.40参考)と言っているのはなるほど~となりました。

また、道元の人生を述べる中で、よく話が脱線します。
そんな脱線する話から里見弴の人柄のようなものもうかがえました。
道元が生まれたのは本書によると(諸説あるみたいですが)1200年らしいです。
人生を述べていく中で、その当時にあったことも同時に述べられます。
そこを読みながら感じたのは「お~これは鎌倉殿の13人の時代ではないか」ということでした。
大河を見ていた甲斐があったなあと。

さて、私の感想はさておき吉田さんはエッセイの中で本書についてどのように述べているのかも引用してみましょう。

さて、その里見が書いた『道元禅師の話』が面白かった。
ただ、この場合、内容が素晴らしかったというよりも、あまりにも作者が投げやりで、それが面白くてたまらなかったのである。
というのも、里見はわりと早い段階から、禅宗はもちろん、宗教の一切に興味がない、道元にしたって、ざっくりと言ってしまえば、品行方正な金持ちのボンボンというところ以外に見るところはなく、いたって退屈だと言い放つ。
とはいえ、そうぶっておいて、のちのちその宗教や道元の素晴らしさ、偉大さに作者が気づいていくという筋書きなら、よくある手なのだが、この里見弴、結局、最後の最後まで、ああ、もう退屈、なんで俺がこんな人のこと書かなきゃいけないんだよ、とばかりの態度を崩さないのである。

同上(p.131)

吉田修一さんもその内容よりも里見弴の書きぶりというか態度に面白さを感じておられます。
逆に本を読むときにそういう楽しみ方をしてもいいのかと少し自分としては肩の荷が下りたような気もしました。

狸汁食べて脱線する話

今回は里見弴『道元禅師の話』の紹介でした。
とりあえず『正法眼蔵』と道元は改めて繋がりました。
 
それでは、読んでいただき、ありがとうございました。

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