【閑話休題#40】里見弴『道元禅師の話』
こんにちは、三太です。
今回はこちらの作品を読みます。
読むきっかけとなったのは、吉田修一さんの『素晴らしき世界~もう一度旅へ』に次のような記述があったからです。
吉田修一さんが川端康成を好きなことは別のエッセイで読んだことがあって知っていたのですが、里見弴についてはこのエッセイで初めて知りました。
もうこれは読むしかないなと。
それに自分ルールとして月に一冊岩波文庫を読むということを課していて、ちょうどそれに合致するなということもありました。
あらすじ
本書は昭和27年(1952年)、道元禅師の700回遠忌の記念事業として執筆をされました。
道元禅師の人生をその誕生のときから最後まで詳述していきます。
「道元なんてほんとうはあまりよく分からない」という人目線で書かれているのが特徴的な本です。
感想
自分自身はあまり道元や禅というものについては詳しくありません。
ただ、全く興味がなかったのかというとそうでもなく、全盛期のシカゴ・ブルズのヘッドコーチであるフィル・ジャクソンが禅の考え方をコーチングに取り入れたという話を知っていたり、学生時代には禅寺をめぐったりというぐらいのことはしていました。
でも、本書は仏教用語が出てきたり、そもそも引用する文章の漢字が難しかったりするので、正直スラスラと読める本ではなかったです。
けれども、里見弴はそんな読者に寄り添うようなポジションで本書を執筆しています。
例えば、それは里見弴の言いかえなどのわかりやすさに表れていると感じました。
道元は名門貴族の出で、いわゆる「いいとこの坊っちゃん」(p.40参考)と言っているのはなるほど~となりました。
また、道元の人生を述べる中で、よく話が脱線します。
そんな脱線する話から里見弴の人柄のようなものもうかがえました。
道元が生まれたのは本書によると(諸説あるみたいですが)1200年らしいです。
人生を述べていく中で、その当時にあったことも同時に述べられます。
そこを読みながら感じたのは「お~これは鎌倉殿の13人の時代ではないか」ということでした。
大河を見ていた甲斐があったなあと。
さて、私の感想はさておき吉田さんはエッセイの中で本書についてどのように述べているのかも引用してみましょう。
吉田修一さんもその内容よりも里見弴の書きぶりというか態度に面白さを感じておられます。
逆に本を読むときにそういう楽しみ方をしてもいいのかと少し自分としては肩の荷が下りたような気もしました。
狸汁食べて脱線する話
今回は里見弴『道元禅師の話』の紹介でした。
とりあえず『正法眼蔵』と道元は改めて繋がりました。
それでは、読んでいただき、ありがとうございました。