神のような人間の、言葉のちから
こんばんは。栗山ゆかりです。
故・稲盛和夫さんを偲んで、某新聞記事を読んでいました。
あの京セラを一代にして世界的メーカーへ。
そしてKDDIを設立してNTT一択だった世の中を変えた。
さらには、経営危機に陥った日本航空を復活させた立役者・・・
新聞には、「時流読むベンチャーの神」と書かれていた。
もう本当、神様と思った。華々しい経歴を読んでいたら。
でも、記事の後半に。
過去に稲盛さんのインタビューを担当した記者の方が、彼をこう表現しています。
「猛烈に働き、好奇心と反骨精神で新しいことに挑み続けた、全身火の玉のような仕事人だった」
と。
その言葉を見たときに、私は、「ああ、稲盛さんも人間だったんだ」と思った。
確かに、めちゃくちゃすごい経歴。
あの企業もこの企業もこの人が関わってたの!?と、無知な私は驚愕したものです。
ただ。
神様というと、
「人知を超えた力をもって、人にできないことをやってのける存在」
少なくとも私にとって神様と言ったらそんなイメージで。
「好奇心と反骨精神」は、私にとって「人知を超えた神様の力」ではなく、人間だからこそ持つことのできる力だと思いました。
知らないことが多いから、知ろうとする。
いつもうまくいくわけじゃないから、頑張る。
自分の信念があるから、負けても何度も立ち上がる。
それが、神様のように完璧な存在ではない、人間ならではの力なんじゃないかと。
KDDI設立後、稲盛さんは、「人間として何が正しいか」を軸として、後進に経営哲学を教えていたそうです。
まさに、人間としてあるべき姿を描き、生きてこられた。
そんなお方だったんですね。
そして、そのインタビューの時、稲盛さんは低迷する日本経済を憂いて、こうおっしゃったそうです。
「今の日本人はぬるま湯につかり安逸をむさぼっている。」
うう。さすが。
言うことが違う。
稲盛さんからしたら、本当にそう見えたんでしょうね。
厳しめだなと思ったけど、続く後半の言葉は、厳しくも素敵だと思った。
「やろうと思えば何でもできるのに気力がない」
ああ、そうだ。
やろうと思えば何でもできる。
ここは日本。
世界中の様々な国と比較したら、ずっと安全で、ずっと可能性や選択肢に満ちている。
そんな国に生まれたんだから、
「やろうと思えば何でも」できるって、嘘じゃない。
ごく一部の富裕層の人達だけに許された言葉じゃない。
彼は決して、何でも「成功する」とは言っていない。
成功の保証がなくたって、気力一つでチャレンジすることができるんだから、やれるだけやってみよ。
人間として、全力で生きよ。
そういうエールのように、私には聞こえました。
稲盛さん、これまであまりちゃんと学んでこなくてごめんなさい。
あれだけの成果を残しながらも、日本と国民の未来を心配してくれていたんですね。
やろうと思えば何でもできる。
新しい言葉、奇をてらった言葉ではない。
でも、火の玉のように生きた人の魂から発せられた言葉は、たとえ過去であっても、新聞紙の上でもあっても、熱く感じた。
心がもろくなりかけたときに、自分に言い聞かせたい言葉の一つになりました。
ありがとうございます。
どうか安らかに。ゆっくりお休みください。