
文楽公演 通し狂言「妹背山婦女庭訓」第一部 小松原の段、太宰館、妹山背山の段【観劇記録】
*タイトル画像は、プログラムの裏表紙より。
第230回、文楽公演を観てきました。
通し狂言《妹背山婦女庭訓》、第一部は小松原の段、太宰館の段、妹山背山。
令和7年2月公演、配役表はこちら。
《妹背山婦女庭訓》は、大化の改新のころを題材にした人形浄瑠璃。
天智帝を追い落とし万乗の位を名乗る蘇我入鹿の権勢と、それに抗う人々を描く。
小松原の段
春日大社近くの小松原で、大判事清澄の息子久我之助と、太宰家の息女雛鳥が、親同士の不仲を知らずに出会って恋に落ちる、という場面。
久我之助を竹本三輪太夫、雛鳥を豊竹咲寿太夫、雛鳥の腰元小菊と天智帝の愛妾采女の2役を竹本南都太夫、宮越玄蕃を竹本津國太夫。
この段は人形を使う人の顔がみんな隠れているのだが、雛鳥の動きに16、7歳のウブな可愛らしさがあった。
敵役の宮越玄蕃をしている津國太夫が面白い。「お前ら、そんなイチャついてるってことは家同士が仲悪いなんて嘘だな? 入鹿に黙ってて欲しければ、雛鳥は俺と一緒になれ」と騒ぎ立てる。
雛鳥の腰元小菊が機転を利かせて、返事はこの吹き矢筒でコソッと聞かせましょうと騙し、吹き矢を玄蕃にグッサリ。その隙に雛鳥は逃げ去る。
刺さった吹き矢が、びっくりするぐらいデカい。そしてなかなか抜けない。いかめしい顔と、憎々しい声で、痛いわ抜けないわで騒いでいる玄蕃が可笑しい。
内裏から逃げ出してきた采女(南都太夫)を見かけた久我之助は、彼女に蓑を貸して助け、ともに行く。
太宰館の段
語りは豊竹希太夫、三味線は竹澤團七。
采女にご執心の入鹿は、大判事清澄を、太宰後室定高の館へ呼び出す。清澄の息子久我之助は采女の付人なのだから、行方を知っているはずだと問い詰める。
希太夫が、入鹿、清澄、定高を語り分ける。わたしが歌舞伎のイメージに引きずられすぎなのかもしれないが、声が、清澄にはやや若く、定高にはやや太く、入鹿にはマトモすぎるような気もする。
けれども発見もあって、希太夫の声を聞いていて自分の思い込みに気がついた。入鹿は父の蝦夷を殺して権勢を握ったのだから、バケモノじみた人物ではあっても、老人ではない。自分はこれまで、入鹿を勝手に老人のように感じていたな、と反省する。
入鹿はカラカラと笑い、清澄と定高が、不仲に見せかけて共謀し、天智帝に味方しているのだろう、と疑う。
この笑いがなかなか難しそうだった。歌舞伎の「時平の七笑い」を思い出す(《天満宮菜種御供》二幕目)。菅原道真を嘲って、ライバルの藤原時平が笑うもので、公家悪のスケール感と、奇怪な何種類もの笑いが眼目だ。
今回、入鹿の笑いをどんなふうに聴けばいいのか、わたしはまだ初心者すぎて掴めなかった。入鹿が「わしの目は誤魔化せぬぞ」って気持ちで笑ってるとしたら、こちらは、イヤほんとに不仲ですけど…という意地悪な気持ちになってしまう。
入鹿は、自分に背くつもりがないのなら、定高には娘雛鳥を入内させるよう、そして大判事には息子久我之助を出仕させるよう言い渡す。
このとき、吉田和生の遣う定高が、ギックリとしたあとソッと顔を背け、雛鳥の不憫を嘆く母の顔を見せたのが素晴らしかった。
妹山背山の段
背山…大判事は豊竹若太夫、久我之助は豊竹藤太夫。三味線は前が鶴澤清志郎、後が鶴澤清介。
妹山…定高を竹本錣太夫、雛鳥は豊竹呂勢太夫。三味線は前が鶴澤清治、後が鶴澤藤蔵、琴が鶴澤清公。

舞台には初め、紅白の横縞の幕がかかっている。下のほうだけ滝車のあたりまで見えている。
三味線が川音のようにトン、トン…と響く。
〽︎駆けり行く
背山の側から藤太夫の語りが始まる。時代がかった力強い語りが少し進むと紅白の幕が振り落とされて、遠く向こうから手前へ波打って流れる吉野川を中央に、左右の屋敷、屋根には桜の吊り枝がかかった春の景色。
上手の背山は質実剛健という言葉が似合う屋体、下手の妹山は障子の木枠が黒塗りで優美だ。妹山の障子が開くと、奥に雛飾り、腰元の小菊と桔梗が話に花を咲かせ、雛鳥はふたりの間で心ここに在らずといった様子で座っている。雛鳥を遣うのは吉田蓑二郎。
呂勢太夫の、小菊と桔梗の賑やかな会話、そして恋心のあまりつんのめるような雛鳥。藤太夫の時代がかった地の語りと、憂国の若者久我之助。背山と妹山で掛け合いとなる 〽︎心ばかりが抱き合い は間合いたっぷりと、川に塞かれた若い恋を聴かせる。
そして、大判事と定高が館へ帰ってくる。太夫は若太夫と錣太夫の登場。大判事と定高は、もちろん我が子を入鹿の命に従わせるつもりだと話し合い、承諾した証には桜の花をつけたまま川へ流そうと決めて、それぞれ桜の枝を折り取る。
どっしりとした若太夫の大判事、気強さと母の愛を見せる錣太夫の語りも良いし、鶴澤清介の三味線は、なぜあんな深い響きなのか。例えが妙なのは承知で書くと、音の向こうに鳴き龍がいるみたい。
女雛の首が落ちるのを見た定高が娘に、「入内させると言ったは偽り」と本心を明かす。雛鳥がありがたいと手を合わせると、定高は娘と共に泣き上げる。
ここで錣太夫の定高は、その泣き声に腑の千切れるような母の悔しさがあって、わたしはこの演目で一番の感涙ポイントだった。
好きな相手がすぐ川の向こうにいるのに添えず、「嬉しいありがたい」と首を斬られる娘の健気さ、不憫さ、自分の無力さ、権力への煮えるような憤り。
錣太夫と呂勢太夫って声の相性がいいのか、他の部分でもふたりの声が重なると、あたりが光るような艶やかさがあった。
定高は雛鳥の首に死に化粧してやり、雛道具と一緒に川を渡す。
丁寧に丁寧に、何度も娘の髪をすいてやる定高の姿が目に残る。そして久我之助の元へ輿入れした雛鳥の首は、客席の方を向いて置かれ、これがどきりとするほど美しかった。
わたしは人形の顔立ちで言えば、主役系よりも完全に脇役な一人遣いの人形が愛嬌あって好きなのだけれど、このときは雛鳥の首に(死んでるけど)惚れ惚れした。数あるカシラの中、雛鳥の死に顔に最も「うわぁ美しい、もっと見ていたい」と思ってしまった自分に、複雑な思いだった。
さいごに
東京での次の公演は5月。北千住のシアター1010。北千住マルイの中なので、休憩時間を過ごすのも、おやつを買うのも、トイレも便利。


そして《平家女護島》鬼界が島の段だそうです。どれも面白そう。