迷っているなら観てほしい_映画『八犬伝』2024年公開【映画感想】
*ネタバレがあります。ご留意ください。*
やあ、楽しかった。もしも、観ようかどうしようか迷っておられるなら、劇場でご覧いただきたい。
曲亭馬琴が南総里見八犬伝を書き始めて28年間。
馬琴の身に起きること(以下、私生活パート)を追いながら、連載に合わせて八犬士の物語(以下、南総里見八犬伝パート)が進んでいく。
上演時間は149分と、やや長め。
八犬士が玉梓の怨霊と闘う一番のクライマックスで、馬琴が視力を失ってあわや連載ストップか!?となるので、ここでもどかしい感があるが、その他は盛りだくさんでぐんぐん進んでいく。
登場人物が多いので、公式サイトから相関図をお借りしようと思う。
わたしの目当ては尾上右近だった。
彼が三代目尾上菊五郎を演じ、しかも劇中劇で《四谷怪談》のお岩をするというので、興味は馬琴より鶴屋南北という有り様。
尾上右近のお岩も大石内蔵助も「もっと観たい!」と思う素晴らしさだった。娘も右近のお岩を絶賛していた。このシーンのためにDVDを買ってもいい。
四谷怪談は忠臣蔵と裏表という設定なので、忠臣蔵の場面がある。
高師直めちゃいいじゃん、と思ったら澤村國矢だった、という喜びもあり、わたしの目当ての部分は大満足である。
スクリーンにギュウギュウの「馬琴 私生活パート」
力を込めて描かれていたのが、馬琴の私生活パートだった。
映画で、鶴屋南北を立川談春が演じている。
馬琴は友人の葛飾北斎(内野聖陽)に付き合って四谷怪談を観に行き、奈落を見学している途中で南北に会う。
馬琴が奈落から見上げ、舞台を点検していた南北は空いたセリから逆さまに奈落へ頭を下ろしている、対称構図。
提灯と舞台の明かりを順光で受ける馬琴と、逆光でヌラリと目を光らせる南北が、戯作の虚と実について議論になる部分が、めっぽう面白く、見応えがある。
議論の終わりに、ろうそくが尽きて提灯が消える演出も風情が素晴らしい。
馬琴の家族は、妻のお百が寺島しのぶ、息子鎮五郎が磯村勇斗、嫁お路が黒木華。この配役。面白いに決まっている。
素直で穏やかな息子鎮五郎は、馬琴の期待を背負って滝沢の家を再び武家に戻すべく、医学を学んで医師になるも、身体を壊してしまう。
お百は馬琴を責める。子どもの頃は身体も丈夫で普通だったのに、あなたが鎮五郎を「しつけ殺したんだ」。
馬琴は狼狽して、何も言い返せない。
全て、正しいと思ってやってきた。それが、結果的に鎮五郎を弱らせる悪になっていたことに馬琴は愕然とする。
もう、このあたりの心の揺れの巧さは、役所広司なればこそ。
鎮五郎(磯村勇斗)が死ぬ場面はもう、スクリーンに芝居がギュウギュウである。スペクタクルのシーンでなく、家族の愁嘆場でスクリーンが狭いなんて思ったのは初めて。
鎮五郎の、命は風前の灯火。それを磯村勇斗が影と儚い芝居で作り出す。
障子のそばへ下がって、様子を見守る黒木華のお路も、その湿った手の様子まで伝わってくる。水を欲しがる鎮五郎のために水差しを馬琴に手渡す仕草の、板についた家族感。
いつもは気の強いお百(寺島しのぶ)が、声を上げて泣く。こんなに胸の詰まる、心が痛くなる泣き声は初めて聞いたかもしれない。
寺島しのぶのお百はこの場面に限らず、通り一遍の古女房ではない。
愛しく手強い、立体的なお百だ。
初めは、いかにもしっかり者の手強い妻という登場なのだが、次第に彼女の「みんなであたしを除け者にして」という僻みが濃く出てくる。お百の死に際に、それが凝縮されている。
廊下にバタリと倒れたお百は、駆け寄ったお路をなんとも言えない暗い目で睨み上げる。お路は、視力を失った馬琴の代わりに筆を持って、馬琴の語りを書き留める役をしていた。
偏屈なこだわり屋でも、馬琴の周りにはいつも北斎がいて、鎮五郎も父を敬い従う。
一方で、炭団を作ったり、なかなか入らない原稿料の中で家計をやりくりしてきたのはお百。つい愚痴も出る、強い憎まれ口を叩かずにいられない。
それが、気がつけばお路まで馬琴の側へ。
お百の最期の言葉「…ちくしょう」には、そんな思いがあったように聞こえた。
若さとスペクタクル溢れる「南総里見八犬伝パート」
そして「南総里見八犬伝」パート。
犬塚信乃(渡邊圭祐)が犬飼現八(水上恒司)と闘う芳流閣の場面は、いつか見た南総里見八犬伝の挿絵がそのまま甦ったよう。
素晴らしいスケール感で心が震えた。
渡邊圭祐は、映画『ブレイブ -群青戦記』よりも芝居が安定してグラつきがなくなり、キラキラ剣士をまとめる存在感が充分。扇谷定正(塩野瑛久)の城へ乗り込んで行くところをはじめ、足さばきが低く美しいのが印象に残る。
犬川荘助が鈴木仁。ほどよい筋肉美のうえ、上背があるのに殺陣で身体が浮かない。
犬坂毛野は板垣李光人。定正の館での宴で、女の舞い手になりすまして登場する。いやはや、ゾクッと来るような艶のある美しさ。
一緒に映画を見ていた小5の娘の感想。
同感。
こういう扱いというか、こういう役どころが回ってくるのを(大河ドラマ「どうする家康」と似てるし)、御本人はどう思っているのか分からないが、見る側にとっては美は宝なのでありがたい。
平均年齢高めの馬琴の私生活パートに比べ、南総里見八犬伝パートは若手が多くて元気いっぱいである。
栗山千明はこの中では年齢が上の方に入るはずだが、さすが怨霊(?)、年齢なんて次元を超えた美しさ。ヘビの鱗を思わせる三角模様の着付けがゴージャスで似合っている。
後半、八犬士との闘いが進むに連れて頭(髪)が大きくなっていくのがちょっと面白い。
このパートで、いまいちなのが里見義実(小木茂光)だった。
冒頭も含めて芝居に覇気がなく、どういう人物なのか伝わってこない。ようわからん人、ということを表現するための演じ方だったのだろうか?
逆に、出番が短いのに覇気と気迫に満ちていたのが、神尾佑が演じる赤岩一角。
目を開けた瞬間にこんな顔で覗き込まれていたら(映画はもっと怖い)気絶する。
しかも見た目のインパクトだけではない。道場の師範という設定もあり、殺陣が力強くて見惚れてしまった。
さいごに
とっ散らかった感想になってしまったが、どのパートも一切「なんとなく」が無い。どこも全力、どこから見ても面白い。
久しぶりにこんなギュウギュウな映画を見た気がする。
このメンバーで1クールの連続ドラマにしてくれないだろうか。そのときはぜひ、北斎が三代目尾上菊五郎(尾上右近)に御祝儀を渡す楽屋のシーンまで入れてほしい。
これだけの役者が出ていて、無駄遣い感が無いのはお見事と思うけれども、唯一挙げるとすれば、渡辺崋山役の大貫勇輔だと思う。
渡辺崋山は、馬琴が最も迷って悲しむ部分に居合わせて、馬琴に真っ直ぐな言葉をかける大事な役ではある。真摯な瞳もとても良い芝居なのだが、この人のスケールの大きな芝居、超絶動ける身体を考えれば、袴羽織で雨の中を歩かせるだけでは物足りない。惜しい。
惜しいといえば、映画全体の、音のバランス。
もしかするとわたしが見た劇場のコンディションのせいかもしれない。
しかしちょっと音が雑に感じた。もう少し奥行きのあるサウンドだったら、さらによかった。役者の声のボリューム(いやに大きい人と、そうでもない人がいる)も、もう少し調整できたのではと感じる。
さっき娘の感想を挟んだ通り、小5ならば「南総里見八犬伝」を知らなくても充分に映画の内容を理解でき、最後まで見ていられる。
見ようかどうしようか、と思っておられるなら、お子さま連れもありではと思うので、ぜひぜひ観てほしい。
長文、お読みくださってありがとうございました。